『流浪の月』と『犬神家の一族』
本作のロケーションは、長野県松本市を中心に撮影されており、印象的な湖は青木湖と木崎湖である。旧作日本映画のファンなら気づいたかもしれないが、これは1976年ならびに2006年に製作された映画『犬神家の一族』のロケ地でもある。
1976年6月30日、青木湖で『犬神家の一族』はクランク・インした。金田一耕助を演じた石坂浩二の撮影初日も木崎湖の湖畔を疾走する場面だった。監督の市川崑は、仁科三湖でロケを行う理由について、「神秘さを漂わせる青木湖を使って犬神家の怨念みたいなものを撮りたい」(『サンケイスポーツ』1976年7月3日)と語り、事実、湖から突き出た逆立ち死体をはじめ、映画の世界観を作り出す上で大きく寄与した。
それから45年、『流浪の月』は『犬神家の一族』が刻んだ青木湖のイメージを刷新させつつ、〈神秘さ〉を、形を変えて継承している。映画の中心となる重要な場面は湖で展開するという共通項ばかりか、両親のいない孤独なヒロインが愛する男は世間からは犯罪者として扱われ、またヒロインを求めてくる男を拒絶したことから、手痛い目に遭わされる点でも共通する。そうした物語の背景に神秘さをたたえた青木湖がいかに相応しいかは、両作を観ればよく分かるはずだ。
予断と偏見を抱いて観ることで驚きが生まれる
本作の見事な映像に感嘆しつつ、小児性愛者である文に対して更紗は無警戒すぎるのではないか(職場の同僚の娘を預かり、文に相手をさせたり2人きりにさせたりするのである)という思いも抱く。また冒頭に記したように、やはり更紗はストックホルム症候群なのではないか、という疑問も残る。
原作では「少女のはなし」「彼女のはなし」「彼のはなし」といった6つの章立てになっており、それぞれの主観で前述の問いかけへの答えが明かされる。しかし、それを映画でナレーションも説明的な台詞も用いずに、観客に誤解なく伝えるにはどうすれば良いか
更紗については積み重ねられていく描写で納得できるだろう。一方、文はどうか。小説では可能な屈折した心情の説明を、映像で提示するのは至難の業である。それをどのような形で見せたかを明かすことは出来ないが、観客は瞬時にすべてを了解することが出来るとだけは言っておこう。 それによって安堵する観客がいれば、いささか鼻白む観客もいるかもしれない。筆者などは後者に該当するが、小児性愛者を真正面から描くことが可能なのかと考えれば、こうした形になるのは――原作にも沿っているだけに、当然なのかもしれない。
そして観客が2人に予断と偏見を抱いて観れば観るほど、その瞬間を目にして大きな衝撃を受けるに違いない。そのとき気づくだろう。2人の世界を物見遊山に眺め、時には正義の名のもとで妨害した匿名の人々のなかに自分の姿があることを。
文 / 吉田伊知郎
参考 :「ストックホルム症候群」 What is Stockholm syndrome?
雨の夕方の公園で、びしょ濡れの10歳の家内更紗に傘をさしかけてくれたのは19歳の大学生・佐伯文。引き取られている伯母の家に帰りたがらない更紗の意を汲み、部屋に入れてくれた文のもとで、更紗はそのまま2か月を過ごすことになる。が、ほどなく文は更紗の誘拐罪で逮捕されてしまう。それから15年後。“傷物にされた被害女児”とその“加害者”という烙印を背負ったまま、更紗と文は再会する。しかし、更紗のそばには婚約者の亮がいた。一方、文のかたわらにもひとりの女性・谷が寄り添っていて‥‥。
監督・脚本:李相日
原作:凪良ゆう「流浪の月」(東京創元社刊)
出演:広瀬すず、松坂桃李、横浜流星、多部未華子 / 趣里、三浦貴大、白鳥玉季、増田光桜、内田也哉子 / 柄本明
配給:ギャガ
©2022「流浪の月」製作委員会
公開中
公式サイト gaga.ne.jp/rurounotsuki/