Aug 25, 2019 column

ミュージカル映画『ロケットマン』を彩るエルトン・ジョンの名曲群を解説

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エルトンの半生&映画では描かれない逸話

ここでエルトン・ジョンについて、改めて触れておこう。1947年にイギリス、ミドルセックス州の田舎町ピナーで生まれた彼は現在72歳。英国王室からナイトの叙勲を受けた数少ないアーティスト。ド派手な衣装、とくにド派手なサングラスは、ライブパフォーマンス時の彼のトレードマークとなっており、来日公演ではゴジラの恰好で歌ったこともある。また、バイセクシャルであることを公言しており、2005年には同性婚を公にして話題となった。

そんな賑やかな側面も、音楽的な才能に裏打ちされてこそ、だ。映画でも描かれているが、4歳のころからピアノを弾くようになり、11歳で王立音楽院への入学を認められた。このころに弾いていた楽曲はバッハやショパンなどのクラシックだが、若きエルトンはポピュラー音楽にも興味を示してバンドを結成。そのバンド、ブルーソロジーは、米国からやってきたR&Bシンガーたちの公演でバッグバンドを務めて腕を磨いていく。

一方で、音楽出版社に楽曲の売り込みをし始めるが、エルトンには弱点があった。良い曲が書けても、詞が書けないこと。そんな時に出会ったのが生涯の盟友となる作詞家の卵、バーニー・トーピン。意気投合した彼らはソングライティングのパートナーとなった。やがてエルトンがアーティストとしてソロデビューを果たした時、彼らのパートナーシップによって生まれた曲は世界を席巻することになる。

1970年代に入り、『ユア・ソング(僕の歌は君の歌)』を皮切りに、ヒットを連発するエルトンがスターダムにのし上がるのは、映画でも描かれているサクセスストーリー。ここでは映画で描かれていない逸話について触れておこう。スターとなったエルトンはジョン・レノンと親交を深め、ビートルズの名曲『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』をジョンとともにレコーディングし、ジョンの大ヒット曲『真夜中を突っ走れ』のレコーディングにも参加。ジョンの息子ショーンの名付け親にもなった。ちなみに、ジョンが生前最後にコンサートの舞台に立ったのは、1974年にエルトンのNYでのマディソン・スクエア・ガーデン公演にゲスト出演した時だった。

映画は1983年のシーンへの返り咲きによって締めくくられるが、この後もエルトンは浮き沈みの激しい音楽業界でキャリアを積み重ね、1994年にはディズニー映画『ライオン・キング』に提供した『愛を感じて』でグラミー賞とアカデミー賞をダブル受賞。1997年にダイアナ元英国皇太子妃が亡くなった際には自作のリメイク『キャンドル・イン・ザ・ウインド ~ダイアナ元英皇太子妃に捧ぐ』をトリビュートして発表。このシングルは、1950年代以降に最も売れたシングル曲となった。

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