イーストウッド作品ならではの魅力
以降、先述した1996年のテロ事件と、ジュエルがたどる数奇な運命、彼とワトソンの物語が描かれていくが、そこにはイーストウッド作品特有の魅力が詰まっている。ここではそれを見て行こう。まずは最大限に引き出された役者の演技の旨み。ジュエルを演じたポール・ウォルター・ハウザーは、あまりに本人にソックリであったため、ジュエルの母ボビと面会した際、彼女をしばし動揺させたという。これはハウザーが現存するジュエルの映像を見て、歩き方やクセを研究した成果ともいえよう。
そのボビを演じたのは『ミザリー』(90年)のオスカー女優キャシー・ベイツ。愛する息子の苦境に胸を痛め、静かな生活を破壊されたことを嘆く母親像は、切実な心情を吐露したスピーチの名シーンとともに観る者の心に刻まれるだろう。弁護士ワトソンに扮した『スリー・ビルボード』(17年)のアカデミー賞俳優サム・ロックウェルの妙演も観逃せない。プライドが高そうなとっつきにくい人物にも見えるが、正しいことをするという強い使命感を持ち、ジュエルと友情を築いていく姿の人間味の体現がいい。『許されざる者』のジーン・ハックマン、『ミスティック・リバー』(03年)のショーン・ペンとティム・ロビンス、『ミリオンダラー・ベイビー』のヒラリー・スワンクとモーガン・フリーマンなど、イーストウッド作品では多くの俳優がアカデミー賞を受賞しているが、彼らもまた本年度の全米賞レースを賑わせてきた。
次にドラマの中に脈づくイーストウッド作品のスピリットに迫ってみよう。まず、ごく普通の人間にスポットを当てている点。これは近年のイーストウッドの実録ドラマに顕著な傾向で、『ハドソン川の奇跡』(16年)、『15時17分、パリ行き』(18年)、『運び屋』(18年)といった近作は、図らずもヒーロー、もしくは悪人となる一般市民の体験が描かれていた。主人公がヒーローと悪人のグレーゾーンに追い込まれる立場といえば、本作は緊急不時着の事故から乗客を救うも、その責任を問われるパイロットの受難を描いた『ハドソン川の奇跡』がもっとも近い。同作ではトム・ハンクス演じる主人公が、忠実に職務を遂行したにも関わらず、過失を問われる点がドラマの焦点となったが、これは『リチャード・ジュエル』も同様だ。ただし本作では、主人公の敵はFBIという名の国家権力。しかもパイロットのような特殊技能を持っているわけではない市井の民で、味方はごくごく限られている。それだけに逆境も深刻で、物語のスリルも増す。
そんなサスペンスもイーストウッドの得意なジャンルのひとつ。そもそも監督デビュー作『恐怖のメロディ』(71年)からして、ストーカーに追いつめられるラジオDJの受難を描いた本格派のサスペンスで、『ダーティハリー4』(83年)、『ルーキー』(90年)のような刑事モノはもちろん、『目撃』(97年)、『ブラッド・ワーク』(02年)、『ミスティック・リバー』、さらには西部劇の『荒野のストレンジャー』(73年)、『ペイルライダー』(85年)にもその要素は宿る。『リチャード・ジュエル』はシリアスな人間ドラマではあるが、主人公がどのように窮地にはまり、どのようにそれを脱するのかのサスペンスが観る者の興味を強く引き付ける。自分を追い詰めようとしているFBIに何も知らず協力しかけたり、自白を引き出したいFBIの罠にはまりかけたりと、世間知らずのジュエルの行動は、とにかく危なっかしい。綱渡りのような、そんなサスペンス性にイーストウッド演出の妙がある。