Jan 14, 2020 column

反骨の人イーストウッド!『リチャード・ジュエル』の魅力、代表作との共通点

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1996年、オリンピックに沸くアメリカ、アトランタで起きた爆破事件の被害を最小限に食い止めながらも、英雄から一転して民衆の敵となってしまった一介の警備員リチャード・ジュエル。司法とメディアの標的にされた、この実在の人物に、2度のオスカーに輝く巨匠クリント・イーストウッドがいまこそスポットを当てるべきと判断して作られたのが『リチャード・ジュエル』だ。全米の映画賞を賑わせてきた、この注目作の見どころに多角度から迫る。

巨匠が新たに手掛ける“実話”の映画化

2020年7月、いよいよ東京オリンピックが開催される。国際的なイベントだけに、開催地の空気が大いに盛り上がるのは予想に難くない。1996年のオリンピック開催地、米アトランタもそうであった。2名の死者を出したイベント会場の爆破テロによって、その盛り上がりの空気は一時的に途絶えたが、爆弾をいち早く発見した警備員リチャード・ジュエルの適切な行動により、惨事は最小限に食い止められ、ジュエルはメディアによって英雄に祭り上げられる。ところが、その3日後、ジュエル自身が爆破犯の容疑をFBIに向けられているとの報道がなされたことで、彼の静かな日常は一変。多くの人命を救ったヒーロー、ジュエルは一転して大衆の敵となった。情況証拠以外の物は何もないにもかかわらず、である。以後、88日間にわたり、FBIの執拗な尋問や多くのマスコミの追撃に立ち向かわなければならなくなる。

『許されざる者』(92年)、『ミリオンダラー・ベイビー』(04年)でアカデミー賞の栄冠を射止めた御年89歳のクリント・イーストウッドが、ここ十数年、実話に基づいた作品を撮り続けているのはotocotoの以前のコラムでも触れられているとおり。10年ぶりに監督と主演を兼任した前作『運び屋』から一年、そんな巨匠が新たな題材として選んだのは、このリチャード・ジュエルの物語であった。

「権力者が何かで非難される話はよく聞くが、彼らには金があり、それなりの弁護士を雇うことができて、起訴を逃れる」「リチャードはあらゆる意味で苦しめられた。あの時、世間には、一斉に彼を責めなければならないという空気ができてしまっていた。そして彼には、そこから逃げる力がなかった」と、イーストウッドは語る。リチャード・ジュエルは権力も金もない、ごく普通の市民だった。爆弾を発見し、人々を安全に誘導することは、警備員の務め。彼は自分の仕事をしただけだ。それだけで英雄に祭り上げられ、それだけで犯罪の容疑者になってしまった、というわけだ。

ジュエルにはたしかに、理不尽な苦境から逃げる力がなかった。しかし、味方はいた。弁護士のワトソン・ブライアント。映画『リチャード・ジュエル』で描かれるのは、世間知らずで純粋なジュエルと、司法の裏表を知り尽くしたワトソンの共闘、そしてそこに生じる強い絆だ。裕福とは言えない家庭に育ち、高度な教育を受けることもなく育ったジュエルは、米国のどこにでもいる、いわゆるホワイトトラッシュで権力とは無縁の存在。人のためになることをしたいと願い、正義の概念を信じて警察機構の仕事に就くことを愚直なまでに夢見ている。対するワトソンはエリートで、権力が必ずしも正義を行わず、とても腐敗しやすいことも熟知している。

彼らの出会いは事件の約10年前だが、そのエピソードは映画の冒頭で語られる。ワトソンはアトランタの会社勤めで、ジュエルはそこに郵便係として雇われていた。初めて言葉を交わした時から、ジュエルがワトソンに退職の挨拶をするまでの短いエピソード。それを観ただけで、観客はジュエルとワトソンのそれぞれの性格や、物の考え方、そして彼らの間に横たわる格差を理解するだろう。そして、後の友情の元になる好意の原点も。この冒頭の数分だけで、これから始まるドラマの本質を語っていると言っても過言ではない。最初に端的に言うべきことを語る、イーストウッドの才腕を見て取れる、なんとも美しいオープニングだ。