色彩の発見、すべてを体験せよ
エマ・ストーンは『哀れなるものたち』のベラのことを、自分の演じた「もっとも偉大なキャラクター」だと語っている。本作には最高のエマ・ストーンが刻まれている。『ラ・ラ・ランド』(2016)やサタデー・ナイト・ライブ、アーケイド・ファイアーのウィル・バトラーのソロ楽曲のPVで、既にエマ・ストーンの高いダンスの技術はよく知られているが、それでも本作のダンスシーンには格別なものを感じずにはいられない。歩行のままならない幼児期のベラの動きは、すべて異形のダンスのようであり、身体の動きに対する意識が生まれる以前、脳が手足に指令を出すことを知る前の、真に原始的なダンスのように見える(まるでピナ・バウシュのダンスのようだ)。また本作は脚本の筋に沿って撮られた、いわゆる“順撮り”ではないという。驚くべきことに、エマ・ストーンは幼児期を撮影した次の週に大人に成長したベラを演じていたそうだ。ベラ・バクスターという破壊の象徴。ベラと同じように、エマ・ストーンの演技も時間という概念を破壊する。
ヨルゴス・ランティモスとエマ・ストーンにとって本作は『女王陛下のお気に入り』(2018)に続く2度目の長編コラボレーション作品だが、2人のコラボレーションはお互いの可能性を広げる理想的なコラボレーションといえる。ここにはお互いが新しい自分を発見していくような喜びがある。ヨルゴス・ランティモスにとっては、大きな資本の作品を撮ることで、ほとんど狂気的ともいえる豪華なプロダクションデザインの実現に成功している。アンティークの継ぎはぎで出来たような本作のエクストリームなインテリアのデザイン性にはレトロフューチャーの趣がある。そしてどこかパンキッシュですらある。その意味で『クルエラ』(2021)のエマ・ストーンのイメージと地続きでもある。幼児期のベラの衣装は、ヴィクトリア朝の突然変異なベビー服のようだ。
全体的な世界観としてはティム・ウォーカーのファッション写真に近い(プロダクションデザインを担うショナ・ヒースはティム・ウォーカーの長年のコラボレーター)。またフランシス・フォード・コッポラの『ドラキュラ』(1992)が撮影の参考にされたというエピソードも非常に興味深い。たしかに『ドラキュラ』の古典映画的技術と石岡瑛子による衣装のマリアージュは本作に通じるものがある。
ヨルゴス・ランティモスは大きなバジェットで何一つ作家の個性を失うことなく、むしろこれまで以上にクリエイションの自由を手に入れ、マッドで突然変異的な世界の構築に磨きをかけている。まるでこの映画を撮るために映画作家になったのではないかと錯覚させるほどに。すべてのシーンが飛び出す絵本のように瞳にめがけて飛び込んでくる。ド級のスペクタクルである。本作の真のマッドサイエンティストはゴッドウィンではなく、ヨルゴス・ランティモスその人なのだ。ベラと同じように私たち観客も色彩を“初めて”発見していく。ベラはすべてを体験する。