Jun 29, 2020 column

配信時代の変化が映画に問う100年をへての新たな課題

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Netflix配信になったことによるメリットは大きい。日本という限られたエリアでの公開から徐々に…ではなく、スパンをあけずに一気に世界に向けた公開になる。契約さえしていれば上映館が近隣に無い地域でも見ることが出来るようになった。

コロナ禍の下、同じようなことは海外でも起こっている。トム・ハンクス主演・脚本の新作映画『Greyhound』はアメリカでは劇場上映をしないままApple TV+での配信公開に変更した。ユニバーサル・ピクチャーズのアニメーション映画『トロールズ ミュージック パワー』も劇場公開をせずにネットでの有料配信に切り替えた。ディズニーやワーナーも劇場公開予定だったいくつかの新作を配信へと切り替える発表をしている。

しばらく前から公開と配信開始のスパンを短くしたいと考えていた映画会社にとっては期せずしてそれを試せる機会ともなったが、大手が新作でこういった変更に踏み切ったことで、アメリカではいま映画館の興行団体と映画会社がとてつもなく険悪な状態になってしまっている。同時に、こういう変更が相次ぐ中でこれから来年にかけての映画祭などにおいて、配信作品をどう扱うのかといった課題も出てきている。ポストコロナだとか、コロナによる社会変革だのはよく言われることだが、映画においても“作品の内外”でそれが起こってきている 。

(C)2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
(C)2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会

思い出したのが昨19年の第91回アカデミー賞での『ROMA/ローマ』を巡る論争だ。この映画は大きな注目を集めた。作品としてだけでなく、それが配信映画であることもだった。アカデミー賞だけではなく、そこから「今後の映画賞において、劇場にかからなかった作品(配信作品)を除外するのかどうか」と扱いの議論が起こったことも記憶に新しい。しかしプラットフォームや公開手段がどうであるのかは作品評価と関係があることだろうか?

とりあえずアカデミー賞は2020年度についてはコロナ禍を受けた例外として、「配信先行作品も作品賞を含む各部門のノミネート資格を有する」と発表したが、あくまで“事態を受けた例外”であり、そこに“先行”が付く。(つまり何らかしらの機会に劇場公開されていなければならない)

他の映画祭などがどのような判断をすることになるのか興味深いところだが、いつまでそれが“例外”でありつづけるのだろう。その理由が興行ビジネスの話であるならその賞の説得力は維持できるのだろうか?観客にも、作品そのものの面白さにも全く関係の無い話だからだ。

(C)2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
(C)2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会

スクリーンで見ることを前提にしていた映像と、小さい画面で見ることを前提としている作品では評価基準が違うという意見もあるかもしれない。だが80年代にビデオでの鑑賞が増えたときにTV画面に対応してアップを多用し始めたのもハリウッドだし、どんな作品でも一度スクリーンにかけてしまえば対象となってしまうのかということになる。

配信ではスマホの小さな画面で見る人もいる。それが可能なことも配信の利点だ。それゆえにすでに配信がファーストウィンドウである人らだっている。劇場では掛からなかった作品との出会いというメリットも大きい。『泣きたい私は猫をかぶる』もこの変更があったことで目にした、接したという人は多いはずだ。海外において配信に切り替えた作品なども同じだろう。

一方で、どれだけ優れた作品であっても配信作品、つまり映画館ではかからなかった作品であると言うことでその作品に目を向けない・評価対象外としてしまう人がいることも事実だ。