Jun 26, 2020 column

どんなときも作品との出会いは止まらない 『泣きたい私は猫をかぶる』が描く幸せを感じるための大冒険

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空気を読まず突拍子もない行動をとる中学生の少女・美代。その変人ぶりが周囲から「無限大謎人間」を略して「ムゲ」などというあだ名を付けられるほど。ムゲは同級生の賢人に想いを寄せ果敢な(周囲からは理解不能な)アプローチで攻め続けるが、肝心の賢人はそっけない。

(C)2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会

ある日ムゲは、縁日で不思議な面屋からもらったお面によって可愛い猫に化ける力を得る。彼女は猫となり、賢人の生活に忍び込み彼の本心を知ろうとするが、やがてその力が思わぬ事になっていく。

前記したように僕がこの作品をとにかく楽しみにしていた理由の1つが岡田麿里脚本にある。制作における実写とは異なるプロセスの複雑さを考えた場合、アニメにおけるシナリオを観客が語ることはかなり難しい。だが、個性的な台詞回しややりとりの描写、キャラクターとの距離感など、この人の名がクレジットされた作品からはそれが必ず滲んでいる。原作物が主流の現在のアニメの中でとにかくオリジナル作品が多く、これまで多くの作品が僕の心に刺さってきた。好きな作品があまりにも多い。

しかも監督の1人である佐藤順一は、これまた僕が大好きであったTVアニメ『おジャ魔女どれみ』を手がけていた。あの、作り手が子どもたちに真っ正面から向き合ったことが作品に刻まれている姿勢は本当にショックだった。

加えて、発表時から興味を惹かれていたのが主人公が中学生であるということだった。これまで岡田が描いてきた青春物はその多くが主人公は高校生。しかし主人公が高校生と中学生では描写が大きく変わる。大人になってしまえばわずか数年の違いだが、自分を振り返っても当事者たちにとってこの数年の違いはとてつもなく大きい。

(C)2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
(C)2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会

高校生であれば数年先に存在することが感じられるようになる社会や現実への期待と不安が。中学生であれば多感という言葉で表される感受性による周囲と自分への不安。そういったものが軸か、軸の中心付近にあるドラマとなる。中学生(そしてかつて中学生であった僕たち)があまり出したくないし見られたくないと思っていた心情や感情を削り出し、形としていかなければならない。そのためには作り手も自分の中にある何かを晒し出さなければならなくなる。だから中学生を描くことは結構厄介だ。岡田がどのような“こじれた中学生”の物語を生み出し、佐藤順一やスタジオコロリドが具現化するのか。