May 22, 2018 column

高畑監督の逝去に想う 去り逝く先人と未来を繋ぐ、僕らに課せられたアーカイブの責務

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10年ほど前に、日本のメディア作品などのアーカイブから人材育成、発信までをも目的とした『国立メディア芸術総合センター』という構想があったことを覚えておられる方もいるかもしれない。あれが実現していたら少しは良い流れになっていたのかどうか、正直いまとなってはわからない。残念であったのは、当時の発表や説明などからでは、構想する側にもまだ暗中模索の部分があり、アーカイブの目的や意義。そして運用や利用も含めた計画性を絞り込めていなかった印象だった。それゆえの曖昧さが多くの批判や反対を生み出してしまっていたように思うし、批判側の視点も“アーカイブ”という芸術文化活動への理解と勉強が足りず、前記のような経済原理でのみ切ってしまっているものも目についた。いまだ「クールジャパン政策」と呼ばれているものと混同してしまっている批判も目にする。だが、いい加減そうも言っていられない時期が訪れてきている。 「経済効果が見えない」からと文化財を破棄するような愚か者はいないだろう。映画やアニメやマンガといったサブカルチャーにとってもそれは変わらない。

1つだけ言えるのは、過去の自国の文化をおろそかにした国が、マシな文化発展を遂げた例など無いということだ。実際に自国の過去の文化物を捨ててしまった国もある。そういった国のサブカルチャーはその後どうなっただろう。「海外で日本の○○が高い評価を受けた」「さすがに日本の作品だ」と喜ぶのであれば、それを守っていく責務も考えなければならないし、それはセットとなる重要な要素だ。 高畑監督らが生んだ作品についても、未来においても見ることが出来るのは決して当たり前のことではない。“見られるように”しなければ、それは失われてしまうのだ。アーカイブはけっして無駄なコストでも労力でも無い。 僕らが感動した数々の作品。そしてそれらの作品を生みだしていた多くの記録。そこに持ち込まれていた技術。クリエイターが受け継ぎ、アーカイブに携わる人々らがそれを守るのなら、それを手助けをするのが僕ら“その文化のファン”の役目だ。それが逝く先人たちに対する最大の敬意なのではないだろうか。

文 / 岡野勇(オタク放送作家)

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