映画『水は海に向かって流れる』が公開された。原作は、田島列島の人気漫画「水は海に向かって流れる」。26歳のOL・榊さんと高校生の直達を中心に、クセ者ぞろいのシェアハウスの賑やかな日常を描いた本作。過去のある出来事から「恋愛はしない」と宣言する主人公・榊千紗を演じるのは、広瀬すず。榊さんに淡い想いを寄せる直達役に抜擢されたのは、若手期待の俳優・大西利空。そしてメガホンをとるのは、『ロストケア』『大名倒産』(6月23日公開)など話題作の公開が相次ぐ前田哲監督。シンプルだけど奥が深そうなタイトルを持つこの映画で描かれていることとは‥‥。
大人の女性を演じる広瀬すずの特別感
まず、このタイトル。“水は海に向かって流れる”から何を感じ取るだろうか。たとえば、水は高いところから低いところへ流れていくように、物事の流れに身を任せてみたらいいんじゃない?というメッセージを受け取る人もいれば、いろいろ小難しく考えても自然の摂理は決まっていて、物事は実はとてもシンプルであることに気づく人もいれば、さまざまな解釈ができる。
そんなシンプルだけど奥が深そうなタイトルを持つこの映画で描かれるのは、とある因縁で繋がっていたOLの榊さん(広瀬すず)と高校生の直達くん(大西利空)のこと。大人の女性と高校生の恋についての話なのだけれど、この2人は、そんな偶然ってほんとにある!?と、つっこみたくなるような出会い方をする。
この映画のいいところは、許されない恋に立ち向かう2人の話、ではなくて。榊さんは、「もう恋愛はしない」と自分で閉じてしまったものを、ふたたび動かすきっかけをつかむ。直達くんは、10歳年上の榊さんのことが気になってしかたなくて、何とかしてあげたくて、その感情が恋であると気づく=初恋を知る。何というか、“恋”とか“恋愛”というキーワードが散りばめられているのだけれど、それだけではなくて‥‥。この映画がどんな映画なのか、答えのひとつには──観客の心に残るのは、理不尽な目に遭って負った傷も癒える時が来る、背中にそっと手を添えてくれる人が現れる、そして一歩踏み出そうと思える、ということがある。どんな人の“人生”にも重ねられるような、とても前向きな感情だ。
それらを成立させているのは、原作漫画がもともと持ち合わせているものと、監督の前田哲と脚本の大島里美が用意した映画ならではのエンディングにあるのではなかろうか。漫画にしても小説にしても、映画化するにあたり、原作を忠実に描くのか大きく手を加えるのか、方法はいろいろある。今作の場合は、エンディングに違いがある。榊さんと直達くんのあの時点での関係性をどう捉えているのかが、明らかに異なるのだ。漫画というフィクションのなかでは生々しさを伝え、映画という人間が演じるなかではその生々しさを敢えて外すというか。それぞれの良さを活かしている、映画の良さに繋がるエンディングではないか。
もちろん、主役の榊さんを演じているのが広瀬すずであることにも意味がある。榊さんと直達くんの間にある感情は、決して特別なものではない。これまで、映画にしろドラマにしろ、嫌というほど多くの作品で描かれてきた題材だ。けれど、広瀬すずが演じていることで、ありふれたものが特別なものとして浮き上がってくる。それは、この作品で彼女が大人の女性を演じていることにある。
広瀬すずのイメージが違って見えることが、作品に大きく作用していると思うのだ。国民的女優と言えるほど彼女の活躍は目覚ましい。ただ、早くにスター街道を歩きスポットライトを浴び続けるなかでネックになってくるのは、イメージからの脱却。若い頃に演じた役がハマり役で大ヒットとなると、そのイメージがそのままその人のイメージとなり、抜け出すことは簡単ではなくなる。広瀬すずもそのひとり。『海街diary』の初々しさから、あっという間に『ちはやふる』シリーズの快活なヒロインへと変身を遂げた。10代の青春を感じさせるキラキラしたあのイメージは、かなり強烈だった。言い換えれば、それだけ彼女がハマり役と言える役に出会ってきた証、観客の記憶にその演技を刻み込んだ証、素晴らしいことだ。