Oct 21, 2023 column

『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』マーティン・スコセッシが映画史に刻もうとしたもの

A A
SHARE

歴史的な凶悪事件を“家族の物語”に集約する

映画化の企画を最初に提案したのは、出版前から原作に惹きつけられていたディカプリオのチームだった。スコセッシに6度目のコラボレーションを持ちかけたのは2016年のこと。スコセッシはこのストーリーに魅了され、『アイリッシュマン』の製作と並行して、脚本家のエリック・ロスと『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の準備に入っている。

当初、ディカプリオはアーネスト役ではなく捜査官のホワイト役を演じるはずだった。したがって、まずはホワイトを主人公とした脚本が執筆されたが、草稿を読み合わせた後、スコセッシとディカプリオ、ロスの3人は方向性の変更を決断したという。スコセッシは「オセージについての話なのに、なぜトム・ホワイトの映画を作ろうとしているのか?」と振り返り、またディカプリオも、ホワイトを主役にすることは「いつものような白人救世者の物語を描くリスクを孕んでいた」と語っている。

そこで新たな主人公に選ばれたのが、複雑な葛藤を抱えるアーネストだった。原作を読むと、粗野な性格ながら優しさと人間味をそなえ、妻のモリーには深い愛情を抱きながら、叔父のヘイルには逆らえない男だったことがわかる。この人物に焦点を当てたことで、映画版『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は、アーネストとモリー、ヘイルの3人を中心とした一種の家族劇となった。原作の第一部、“オセージの一族と白人移住者の視点”だけで、この映画版は全編を走り抜けるのだ。

オセージ族と利権をめぐる陰謀を、とある家族の物語に落とし込むべく、スコセッシとロスは原作にない独自の設定を登場人物に取り入れている。帰還兵であるアーネストは、戦場での負傷ゆえに身体を思うままに動かせないという身体的ハンデを持ち、またさほど賢くない人物でもあることが前面に押し出された。叔父の顔色を伺うアーネストと、権力者としての振る舞いを隠しもしないヘイルの関係は有害な親子関係のよう。オセージ族のヘンリー・ローンは兄貴分のような設定になっているが、それゆえ関係性の変化にもひねりが加わっている。

© Courtesy of Apple

しかし、最大の改変点はアーネストの心理だろう。原作者のデイヴィッド・グランは、陰謀に関与していたアーネストの内面にひとつの答えを出しているが、映画ではその部分をあえて脚色し、アーネストの愛情と苦悩を映画の核とした。自らが陰謀に加担する中、家族の不幸をモリーが嘆き悲しみ、また糖尿病を患う彼女自身の体調も悪化するにつれて表情が別人のように変化する。はじめは叔父に向けて卑しい笑顔を浮かべていたアーネストだが、後半にかけて、その眉間に刻まれた皺はどんどん深くなってゆくのだ。

思い悩みながらも無力なアーネストを演じるディカプリオは、言葉にならない感情と祈りを全身で体現。オセージ族を「友人」だと言いつつ、部族の滅亡もやむなしと考えている“怪物”ヘイル役のロバート・デ・ニーロは、その恐ろしさを飄飄と演じた。悲劇の渦中で白人への怒りを燃やすモリー役のリリー・グラッドストーンは、沈黙によって周囲の演技を一身に引き受け、同時に激しい苦痛と揺るがぬ意志を物語る。くらくらするほど濃密な3人の演技こそ、本作を牽引するエネルギーにほかならない。

そして映画の後半には、捜査官のトム・ホワイトが“4人目の主役”として満を持して登場する。ディカプリオに代わってこの役柄を演じたのは、『アイリッシュマン』に続いてのスコセッシ作品となったジェシー・プレモンス。物語の“ゲームチェンジャー”である彼の登場により、一連の事件は急展開を迎えることになる。