Mar 21, 2024 column

配信ドラマがより楽しめる 世界が認めた原作ミステリ解説 Huluオリジナル「十角館の殺人」

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密室状態の孤島で起きる連続殺人事件

 物語の舞台となるのは、海に浮かぶ孤島「角島」。この小さな島では、半年前に天才建築家・中村青司(仲村トオル)とその妻、使用人夫婦の4人の焼死体が発見されていた。事件後、角島は無人島となっていたが、青司が建てた十角形の外観をした奇妙な建物は残されていた。そこは「十角館」と呼ばれる屋敷であった。

 その十角館を、K大学ミステリ研究会の男女7人が合宿で訪れる。推理小説マニアである7人は、それぞれエラリイ、アガサ、ポウなど人気推理作家の名前を愛称にして呼び合っていた。1週間の合宿中に新作小説を書き上げようと息巻く7人だったが、十角館の7部屋ある個室でそれぞれ一夜を明かした翌朝、惨劇が始まる。何者かによって殺された仲間の死体が見つかったのだ。外部との連絡は取れず、犠牲者はさらに増えていく。

 一方、合宿前にミステリ研究会を退会していた江南孝明(奥智哉)は、推理小説好きな島田潔(青木崇高)と知り合い、中村青司の死をめぐる真相を探ろうとしていた。青司の謎を追う江南と島田、密室状態である角島で誰が殺人犯か分からずに疑心暗鬼に陥っていくミステリ研究会のメンバー。2つの物語が交差した瞬間、思いがけない真実が明かされることになる。

 「叙述ミステリ」の傑作として「十角館の殺人」は名高い。また、叙述ミステリとしての仕掛けだけでなく、中村青司が設計した十角館には、意外な秘密が隠されている。米国の「タイム」誌が選ぶ「史上最高のミステリー&スリラー本」オールタイム・ベスト100に選出されるなど、海外での知名度も高い。

 無人島に招待された登場人物たちが次々と殺されていく展開は、“ミステリの女王”アガサ・クリスティの名作「そして誰もいなくなった」にオマージュを捧げたものであり、タイトルは綾辻が少年時代に心酔した江戸川乱歩の「三角館の恐怖」にちなんだものとなっている。ミステリ好きの心を刺激する要素が惜しみなく散りばめてあるのが、綾辻行人のデビュー作「十角館の殺人」だ。デビュー作には作家のすべてが詰まっていると言われるが、「十角館の殺人」こそまさにそのとおりの作品である。

ミステリ界の「トキワ荘」から飛び出した才人たち

 綾辻行人が大学院時代に執筆した「十角館の殺人」は、綾辻自身の学生時代を投影した小説でもある。綾辻が所属していた京都大学推理小説研究会には、1学年下に大谷大学文学部に通う小野不由美がいた。入会したばかりの小野は、綾辻とホラー映画の話題で盛り上がり、意気投合したそうだ。

 推理小説研究会時代に、綾辻と小野は「追悼の島」を共作しており、これが「十角館の殺人」の原型となった。メインとなるトリックは、小野のアイデアだと言われている。綾辻と小野は「十角館の殺人」が出版される前年の1986年に学生結婚しており、小野も作家デビューを果たし、今や「十二国記」などのファンタジー小説の大家となっている。

 もし、どちらかだけ売れっ子になっていたら、今年のアカデミー賞脚本賞受賞作『落下の解剖学』の作家夫婦のような悲劇が起きていたかもしれない。ふたりがおしどり夫婦で、出版界は幸運だった。ちなみに小野不由美原作、中村義洋監督の実話系ホラー映画『残穢 住んではいけない部屋』(2016)では、小松由美子(竹内結子)とその夫・直人(滝藤賢一)として描かれている。

 また、原作の「十角館の殺人」の舞台は大分となっている。綾辻は京都生まれであり、大分は小野の故郷。創作過程には、ふたりのラブロマンスも隠されているように思う。いつか、綾辻と小野が「十角館の殺人」の創作秘話を明かす日が楽しみだ。

 それにしても当時の京都大学推理小説研究会の顔ぶれがすごい。綾辻のデビューに続いて、後輩となる法月綸太郎、我孫子武丸、小野不由美らが次々と作家になっている。さながら当時の京都大学推理小説研究会の部室は、ミステリ界の「トキワ荘」状態だったようだ。

 古今東西の名作ミステリについて語り合うだけでなく、メンバーが創作した推理小説を掲載したサークル誌を定期的に発行し、学園祭で販売していた。また、メンバーが書き下ろした新作ミステリを朗読し、他のメンバーがメモを取りながら推理する「犯人当て」も開いていたという。このときのアイデアをもとにして、綾辻は短編集「どんどん橋、落ちた」を発表している。「どんどん橋、落ちた」には、“悩める自由業者”リンタローや“その愛犬”タケマルが登場する。学生時代の名残りを感じさせる、遊び心に満ちた一冊となっている。

 スポーツでも、一人が新記録を達成すると、次々とそれに続くアスリートたちが現れ、記録がみるみる更新されていくことになる。ブレイクスルーと呼ばれる瞬間だ。綾辻の「十角館の殺人」でのデビューこそ、ミステリ界にブレイクスルーを招いた瞬間だった。京都大学推理小説研究会のメンバーだけでなく、有栖川有栖、歌野昌午らも脚光を浴びることになった。また、綾辻らの活躍に刺激を受けた新世代の作家は、かなりの数になるだろう。