命を賭して狂気を体現したヒース・レジャー
故ヒース・レジャーが実写では三度目に演じた『ダークナイト』(08年)のジョーカーも、自分の口がなぜ耳まで裂けることになったかについて(ここでのジョーカーは実際に口角を雑に切り裂いた傷跡の残る、実に痛々しい風貌をしている)、出会う人々それぞれにまったく異なる説明をしている。曰く小さなころに親から口元を切り裂かれたのだとか、あるいは景気の悪い顔をした女房に笑顔を見せてやるために、自らやったのだとか。言っていることの何が本当なのかまるで分からない。まるで蜃気楼のように薄らぼんやりとしたキャラクターでありながら、一般社会に混沌をもたらすことだけに命をかける。こうしたヴィラン像を描き切ったことに、クリストファー・ノーラン版ジョーカーの恐ろしさがあった。
この悪役を演じるためにレジャーはホテルの部屋に引きこもって1か月半の間誰にも会わず、たった一人でジョーカーと向かい合った。その結果として『ダークナイト』は(主人公たるヒーローのふたつ名を題名にしているにもかかわらず)間違いなくジョーカーその人についての映画になった。もちろんヒーローの葛藤も苦闘も十分以上に描かれるけれども、物語を動かすのはゴッサム・シティに悪意と混乱をもたらし、バットマンと彼を取り巻く人々を翻弄し続けるジョーカーにほかならない。明確な目的も理由もなく災厄をまき散らす、悪そのものが形をとって現れたというほかないこのヴィランを演じ切った後、ヒース・レジャーは作品の公開を待たずしてこの世を去った。28歳だった。睡眠薬の過剰摂取が原因とされており、また死去の前には私生活での不幸もあったという。が、ジョーカーという純粋悪にたった一人挑んだことがその死とまったく無関係とはどうしても思えない。形のない狂気を全身に取り込んだとしか思えない、文字通り命を賭した演技だった。
強烈な存在感を放ったニコルソン版
というレジャー版ジョーカーから遡ること約20年、1989年に大ヒットした映画『バットマン』では、ジャック・ニコルソンが同じ役に扮している。『カッコーの巣の上で』(75年)、『シャイニング』(80年)などで狂気に囚われた男たちを演じてきた名優はさすがの貫禄でジョーカーを演じている。よくよく考えてみればなかなか恰幅のいいニコルソンは痩せすぎで尖った顔をした原作のジョーカーとはだいぶイメージが違うのだが、表情ひとつ変えずカジュアルに(しかも手の込んだやり口で)人を殺して破顔一笑する様子にはさすがの説得力があったことだ。
ここでニコルソンは主演のマイケル・キートンよりも前にクレジットされている(1978年の『スーパーマン』でもタイトルロールを演じたクリストファー・リーヴより先にマーロン・ブランドとジーン・ハックマンの名前がドバーン! と登場しており、スーパーヒーロー役よりもまず超大物俳優ありきというこの時代の認識が見られて興味深い)。
ティム・バートンの興味がヒーローと同等か、あるいはそれ以上にヴィランにあったことは続編『バットマン リターンズ』(92年)を観れば明らかだが、やはりここでもクレジットの順番を超えてニコルソンのジョーカーがあまりに強烈な存在感を放っていた。こと映画において、ジョーカーとはどうあってもバットマンを食ってしまう存在なのかもしれない。