『マトリックス』で手にした新しいアクション
いまでこそ格闘アクションを演じるキアヌに違和感はないが、1999年の『マトリックス』公開当時、「キアヌが真面目にカンフーをやるらしい」ということは、映画ファンにとって一抹どころの不安ではなかった。しかしフタを開けてみれば、引きこもりのハッカーが救世主ネオとして目覚めていくという設定に、猛特訓を重ねたキアヌのカンフーの腕前がいい具合にマッチ。さらに色白で細身の風貌は、近未来の荒廃した世界観にもピッタリとハマっていたのだった。
『マトリックス』シリーズといえば、映画におけるCGを一気に加速させた映像革命というイメージだが、1作目に関しては、アナログとデジタルが融合された野心的アイデアに溢れた作品だった。キアヌが披露するワイヤーを駆使したカンフーやアクション、スローモーションを多用した銃撃戦はあくまでアナログなスタントで撮影。そしてあの有名な“弾丸避け”でさえ、背景こそ合成だが、ワイヤーで吊ったキアヌを多数のスチールカメラで取り囲んで連続撮影し、その写真を連続再生しているに過ぎない。まさにデジタルとアナログなアイデアを巧みに使い分け、革新的な映像に見せている作品なのだ。
4年後に同時製作された2~3作目の映像のすごさについては周知の通りだが、さらなる猛特訓を重ねたであろうキアヌのカンフーも、達人と錯覚するほどのレベルに達している。この世界的ムーブメントとなった『マトリックス』シリーズへの出演によって、キアヌは絶大な人気とともに、ガンアクションと格闘アクションのスキルを手に入れたのだった。
ヒット作に恵まれなくても愛され続けたキアヌ
『マトリックス』シリーズが終了して以降、キアヌのキャリアに陰りが出始める。『コンスタンティン』(05年)、『イルマーレ』(06年)、そして20世紀フォックスからの久しぶりのオファーだった『地球が静止する日』(08年)など、話題作はあったものの大きなヒットには至らず。そして2010年には、ベンチで寂しそうにしている“ぼっちキアヌ”がネットに拡散されるなど、このころのキアヌには負のイメージがつきまとっていた。そして監督デビュー作となった『ファイティング・タイガー』(13年)では、格闘アクションをさらに極めるものの評価を得られず、5年ぶりのメジャースタジオ作品だった『47RONIN』(13年)は興行的にも作品的にも結果が得られなかった。この数年間のキアヌのキャリアは、まさにどん底だったといえるかもしれない。
しかし、キアヌは映画に出続けた。もともとブレイクしてからもインディペンデント系の作品に積極的に出演していたキアヌだが、おそらくどれも心底やりたかったことで、そこにはなんの計算もはたらいていないのだろう。いい脚本だと思えば迷わず挑戦し、人目を気にせずに邁進する。そんなブレないキアヌの飾らない姿が、人々の共感を呼び始める。
出演作こそ話題にならなかったかもしれないが、電車で席を譲っている姿を目撃されたり、ホームレスと友達になったり、主演作の打ち上げパーティ会場に入るために、律儀に雨の中20分も行列に並んだりと(名乗り出ようともしなかったらしい)、何かとネット上で“いい人”エピソードを提供。親友リヴァー・フェニックスの死、恋人の流産と事故死など、つらい過去を乗り越えてなお、自分に素直に生きるキアヌの姿を人々は決して忘れていなかったのだ。