最初の試みはハーバートの原作が出版されてすぐあとの1971年。『猿の惑星』シリーズのプロデューサー、アーサー・P・ジェイコブスが原作権利を購入。『アラビアのロレンス』のデビッド・リーンを監督にして製作を試みていたが、『猿の惑星』のスケジュールがおして、リーン監督が辞退。映画化が断念されたのだという。1975年にチリ系フランス人、アレハンドロ・ホドロフスキー監督が映画化を試み、それも未完成に終わったのだが、本人は2014年にドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』で失敗談を語っていて、これがなかなか出来がいい。そして70年代後半、『ハンニバル』で有名なプロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが脚本権を購入し、作家のハーバート本人に脚本を依頼したものの、長すぎるという理由で、別の脚本家に依頼。『エイリアン』で成功したばかりの若きリドリー・スコットを監督に抜擢し、同じく『エイリアン』のクリーチャー・デザイナー、H・R・ギーガーのアートワークを待っていたが、脚本家が辞退。スコット監督は兄の死という不幸もあって、監督を辞退。のちに『ブレードランナー』を監督し、自らのSF世界を生み出したのである。
ラウレンティスはそれでも諦めきれず、鬼才デビッド・リンチ監督を起用して再挑戦。1984年に映画は完成したものの、大失敗作として不評に終わった。リンチ監督本人もそれを認め、新作は見ないと断言。当時の苦い思い出を正直に語っていて、いつまでも人間味のある監督である。余談だが、コロナ禍がはじまったころから、ロサンゼルスのラジオ放送でリンチ監督本人が、ロサンゼルスの天気予報を伝えるというデイリー・コーナーがある。今まで非日常を描くことで定評があったが、コロナ禍という非日常が日常になった中で、代わり映えのしないロサンゼルスの天気予報を伝えるという不思議な試みは、リンチ監督ファンならず、一般人を元気づけるマントラとなって、現在も続いている。失敗作といえど、デビッド・リンチ版『デューン/砂の惑星』を見直すのもレトロで味がある。