『ピンク・フラミンゴ』『ポリエステル』など、カルト的人気を誇るジョン・ウォーターズ監督の星形プレートがついに、ハリウッド大通りのハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに刻まれた。場所は長年、監督がロサンゼルスを訪れるたびに通った映画専門古書店ラリー・エドムンズの目の前。現在、77歳のジョン・ウォーターズ監督は、ほとんどの映画をアメリカ東部メリーランド州のボルティモアである彼の故郷を拠点に撮影してきた。
式典では、自らのワイルドな素行を常に見守ってくれた両親に感謝しますと真摯に挨拶し、監督映画の生存している出演者に見守られながら、集まったファンにサインしていた。彼の名を世にしらしめたアナーキーなミッドナイト映画『ピンク・フラミンゴ』(1972) は昨年、その公開から50周年を迎え、アカデミー博物館では、彼の半世紀以上にわたる映画作品を称える特別展を開催。ハリウッドから最も遠い存在と考えられていたジョン・ウォーターズ監督の功績がなぜ今、称えられることになったのか。監督のミューズであったドラァグクィーン,ディヴァインの魅力とともに、LGBTQ+コミュニティを勇気づけた監督作品の変遷をこのコラムで紹介したい。
ジョン・ウォーターズの起こした革命
去る9月14日、アカデミー博物館に訪れたジョン・ウォーターズ監督は、たくさんの報道陣のシャッターの前でポーズをとりながら、「このスーツはね、日本人デザイナー清水慶三の“ニードルス”というブランドなんだよ」と、ファッションへのこだわりをふれまわっていた。ジョン・ウォーターズ監督は映画監督でありながら、ファッション・アイコンとしても有名。彼の著書「ロール・モデル」では、彼が感銘を受けた著名人が多く回顧されていて、作家テネシー・ウィリアムズや寡黙な黒人歌手、ジョニー・マティスの他に、反骨精神でファッション帝国を築いた日本人デザイナー、川久保玲の章がある。
以下は監督が1983年に友人の誘いで、米国初のコム・デ・ギャルソンのNYC、ソーホー店を訪れたときの衝撃を書いた部分の抜粋。
”川久保玲は僕の神様だ。ファッション・ヒストリアンの小池一子が語ったように、彼女は一種の宗教運動のリーダーのようだった。彼女が唱えたファッション・ルールの崩壊を、僕は崇拝したよ。彼女は恐るべき、世捨て人のような、怯えさせる存在で、自身の仕事のことを苦しみのエクササイズとまで呼んでいたんだよ。
(途中省略)
その時代には、商品が高額で、僕は全く手がだせなかったけど、その際にまるでヘロインを最初にうたれたドラッグ中毒患者のように、コム・デ・ギャルソンの虜になったんだ。近い将来一生懸命働いたら、川久保玲が僕のディーラーになってくれるってブティックを出た瞬間、キングになったような感動を覚えたんだよ。”
以来、コム・デ・ギャルソンのファッション・ショーのモデルとして招かれたこともあるジョン・ウォーターズ監督。自由を着る男は既成概念にとらわれず、独立独歩で歩んできたのである。監督の好奇心にあふれたボヘミアンな性格は、人間に興味を持つことを忘れない。映画監督になっていなかったら、被告側弁護士になっていたはずと、ときには監獄に通って死刑囚と話したりと、どこにも属さないアウトローな人間たちの個性が監督のクリエイティビティを刺激してきたようだ。
映画『ピンク・フラミンゴ』がニューライン映画のボブ(ロバート)・シェイの目に留まってから、ジョン・ウォーターズ監督の映画はインディペンデント映画の中でも、特異な人気を博し、1988年、映画『ヘアスプレー』で興行的に大成功。脚本、監督したそのミュージカル映画は、ハリウッドの俳優たちにも注目され、以来、人気俳優がこぞって監督作品に登場。当時、若手トップだったジョニー・デップが、ロマンス路線を走りたくないことを理由に、ジョン・ウォーターズ作品『クライ・ベイビー』(1990) に出演。『シリアルママ』(1994) ではベテラン女優キャスリーン・ターナーが模範的な母親でありながら、連続殺人犯というサイコパスな役を演じ、『I loveペッカー』(1998) ではエドワード・ファーロング主演、そのガールフレンド役に女優クリスティーナ・リッチと個性派俳優が続々登場。『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』(2000) では女優メラニー・グリフィスが、狂った監督(スティーブン・ドーフ)と撮影スタッフに囚われるハリウッドスターの役をセクシーに演じている。
『ヘアスプレー』はブロードウェイのミュージカル (2002~) としてロングラン。リメイクされた映画『ヘアスプレー』(2007) の主人公の母親役にはディヴァインに変わってジョン・トラボルタが女性役で登場。オリジナルに勝ることはなかったが、この映画が時代を超えた普遍性を持っていることがよく分かる。『ヘアスプレー』の物語は、知る人ぞ知るジョン・ウォーターズ監督の自伝的内容なのである。
1988年代にはまだ公に描かれることがなかった人種差別への疑問、LGBTQ+の人権の尊厳、そして太っていることの何が悪い !? といった美意識の既成概念を問いただすなど、ボルティモアという出身地地元の町で経験した思春期がベースの映画は、その後、様々な映画監督たちに影響を与えていったことは確実。90年代にヒットしたオーストラリア映画『プリシラ』(1994) 、そして『ブロークバック・マウンテン』(2005) や『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(2001) 、現在のNETFLIX人気TVシリーズ「セックス・エデュエーション」(2019~)という流れのように、ジョン・ウォーターズ監督の起こした革命は現代に花開いているのである。