今月5月は全米で、アジアと太平洋諸島に起源を持つアメリカ人 (AAPI) の歴史を振り返る月。ブラック・ライブズ・マター運動を皮切りに大きな人種多様化が進んだアメリカでは、AAPIを称える月、5月の催しにも力がはいっている。ロサンゼルスでもアジア系移民文化を祝う催しが数多く行われた。映画関係では、ハリウッドのお膝もとにあるアカデミー映画博物館で、香港映画の代表格サモ・ハン・キンポーの特集が行われ、修復版『イースタン・コンドル』のフィルムをテッド・マン・シアターで上映。見事なスタントシーンに大きな歓声を上げるファンが大勢いた。
今年は、アカデミー賞初のアジア系女優、ミシェル・ヨーが主演女優賞に選ばれ、助演男優賞受賞のキー・ホイ・クァン、監督賞受賞のダニエル・クワン他、アジア系タレントが花開いた年。A24スタジオは、今年も多様な人種が織りなす作品に力を入れていて、Netflixで、4月6日から10エピソードで配信されたA24の最新ドラマシリーズ「BEEF/ビーフ」もアジアン・アメリカンが主人公。全く接点のなかった男女が駐車場で激情し、次から次へと仕返しの嵐に身を投じるという痛快ダークコメディは、エピソードごとに過激にエスカレートしていく設定。すでに、今年のエミー賞のコンテンダーとしても話題なので、ここで紹介したい。
スティーブン・ユァンとA24スタジオの濃い関係
ユァンの魅力が注目されたのは2010年からロングランだった米TVシリーズ「ウォーキング・デッド」。韓国系青年グレン役で大ブレイクしたユァンだが、映画はインディペンデント系を選び、生まれ故郷韓国の、当時の若手監督と多くタッグを組み、ボン・ジュノの映画作品『okja/オクジャ』、村上春樹の短編「納屋を焼く」原作のイ・チャンドン監督による『バーニング』、そしてA24配給では、ジョーダン・ピール監督の『NOPE/ノープ』とその存在感を増していった。リー・アイザック・チョン監督作品『ミナリ』で100年近いアカデミー賞史上初、主演男優賞にアジアン・アメリカンとして初ノミネートされたことをきっかけにプロデュース業も含め、オリジナリティを率先するA24のプロデューサー・チームとともに現在、脂の乗った俳優である。
「BEEF/ビーフ」のコンセプトはわかりやすい。自動車走行中に相手の進路妨害に報復するロードレイジ行為がこの復讐劇のはじまり。ダニーは家族思いだが、ホームセンターで物を買い、使っては返却するなど金銭面で試行錯誤する、さえない工事業者。そんなダニーが駐車場で衝突しそうになるのが、白いSUV。クラクションをならし、いきなり飛び出してきたベンツのドライバーに抗議するが、車から出てきたのは、中指を立てた、喧嘩を売る仕草。頭に来たダニーは高級車を追いかけ、煽り運転で小競り合いを仕掛けるが、メルセデスベンツのドライバーはその行為にひるむどころか、より煽りの増したスピードで食いついてくる。頭に来たダニーはライセンスナンバーを頭にきざみ、ストーカーとなってドライバーの正体を探し当てるのだった。
ダニーの憶測に相反し、煽り運転のドライバーは男ではなく女性で気取った植物デザイナー。仕返しすれば気が晴れると、ダニーはエイミーの高級住宅にハンディマンを装って侵入。トイレで尿をばらまいて、腹いせを実行。しかし、ダニーが知らなかったのはエイミーの激しい気性。激怒したエイミーは、ダニーに復讐を誓うのだった。
タイトルにある「BEEF」はスラングで、不平、不満という意味。エイミーは成功したビジネスウーマンで、金銭的にも豊か。しかし周囲からうらやまれるほど幸せではなかった。夫は裕福な親のもとに生まれた、働いたことのないアーティストで、妻でありキャリアウーマンとしてのエイミーの悩みやフラストレーションを理解していない。仕事、家庭、女としての喜びを見出せずにいたエイミーの前に訪れたダニーとの小競り合いは、これまで蓄積していた彼女の不満をぶつける格好の的。おもしろいのは、このシリーズがただの小競り合いだけで終わらない部分。2人の戦いの末には、格差社会が単なる貧富の差だけでなく、幸せの定義を考えさせられる課題が埋め込められている。金銭面で豊かになったあとに何が待っているのかというダニーの素朴な疑問に、「全ては次第に薄れていくものよ」と本音で答えるエイミー。2人の関係がじわじわと極上の接点に到達していく作りは見事である。
脚本家で、今回初の配信シリーズ・クリエイターとなった「アンダン〜時を超える者」のイ・サンジンがシリーズの内容を思いついたのは、信号で止まっていた際、後ろに停まっていた高級車にクラクションを鳴らされ、その煽り運転にムッとしたこと。家のリフォームでホームセンターに何度も足を運んだ際、全く接点の違う人間を引き合わす場所に最適だと感じたという。舞台はロサンゼルス。車社会で、他人と接触することがほとんどないロサンゼルスは、人がそれぞれのバブルの中だけで過ごすことがほぼ当たり前。煽り運転という日常、誰しもが経験するシチュエーションを構築し、最初は2人の男同士のあおり運転による小競り合いという設定でスタート。しかし、偶然、イ・サンジンがネット・フリックスのアニメTVシリーズ「トゥカ&バーティ」で仕事したコメディアンで女優のアリ・ウォンと会話した際、ダニーに立ち向かうのはアリ・ウォンのような強烈な配役しかいないと確信。主役を男女2人に変更し、この究極のカップリングとなったのだそうだ。