映画史上の金字塔を生んだスピルバーグ監督の手腕
1990年、スピルバーグ監督は、著者マイケル・クライトンが温めていた小説「ジュラシック・パーク」の企画をいち早く耳にし、権利を購入するためにユニバーサル映画と交渉。あのジェームズ・キャメロンをおさえて、小説の映画化権を獲得したのである。脚本家は著者のクライトンと、UCLA大卒ほやほやの脚本家デヴィッド・コープ。原作の科学的なディテールを約2時間の映画に仕上げたのはコープの手腕だったと、監督は振り返っている。
映画『ジョーズ』を監督した頃から、映画の中の動物をリアルに描くことの難しさを痛感していた監督。仕上がった『ジュラシック・パーク』では約15分しか現れない恐竜たちだが、9分のプラクティカルな特殊撮影(SFX)と6分の視覚効果VFXとCG映像の構成は見事。
コンピューター上で描く恐竜の映像に半信半疑だったスピルバーグ監督を説得したのが、インダストリアル・ライト&マジック(ILM)の鬼才デニス・ミューレン。彼が率いたVFXチームはリアルな恐竜のCG映像を作り出す技術開発に成功。おかげで、スピルバーグ監督は、より迫力のあるエンディングを描くことが可能になり、最終脚本を書き直させたそうだ。
忘れてはならないのが特殊効果のパイオニア、フィル・ティペットの貢献。『スターウォーズ・エピソード4/新たなる希望』(1977)で酒場に集まるエイリアンたちの制作など、SFXでアカデミー賞を受賞している。最終的に、彼のストップ・モーションは使われなかったが、恐竜アドバイザーとして、リアルな恐竜の動きを監修。デジタル・アーティストたちにも多大な影響を与えた。
さらにもう一人、映画『ジュラシック・パーク』の背景画、マットペインティングを担当したのが日本人の上杉祐世さん。早くから渡米し、『スター・ウォーズ』シリーズ他、ILM時代に多数のVFX映画の背景画を手掛け、彼にインスピレーションを得て渡米した日本出身CGアーティストが現在アメリカでも大勢、活躍している。