魅力的なダイモン、大人が楽しめるドラマ性
なかでも現実世界とは似て非なる世界をもっとも特徴付けるのが、ダイモンの存在だ。この世界では人間の魂が動物の形として実在化し、人間とダイモンは強い絆で結ばれている。子どものうちはダイモンもさまざまな形態に変化し、やがて成長するとひとつの形に固定化される。豪胆な性格の者にはトラ、気性の激しい者には気の荒い猿、小狡そうな者には蛇など、それぞれの個性を端的に表すイメージの動物になっているのもおもしろい。ライラや彼女の親友ロジャーのダイモンはまだ子どもなのでさまざまな形に変化し、それが一層目に楽しいが、単なるファンタジックな仕掛けに留まっていないのがこの作品のポイントだ。
魂を具現化したダイモンは、いわば人間にとって分身と言える存在であり、そんなもう一人の自分と対話しながらこの世界の人間たちは成長していく。可能性が無限に広がる子どもにとっては、ダイモンは無二の親友であり良き理解者だが、成長とは時に痛みを伴うもの。さまざまな経験を経て大人になった時、ダイモンは時に見たくもない己の真実を突きつける存在にもなってしまう。唯一無二であるからこそ、最高のバディにもなれば、痛みをもらたす存在にもなる。そこに複雑な人間ドラマが生まれるのだ。
大人たちはそれぞれの方法でダイモンと向き合っているわけだが、その方法がこの世界を支配する宗教組織マジステリアムと結びついたことで、恐ろしい事態に発展する。一方、ライラの叔父アスリエル卿は、独自の調査でもうひとつの世界を発見。マジステリアムの教義を揺るがすその事実が、事態をさらに複雑化させ、予測のつかないドラマになっている。
こうした大人たちの思惑に翻弄されながらも、ライラは少しずつ真実に近づいていく。どんなに厳しい現実が立ちはだかっても、子どもらしい純粋さとひたむきさで、壁を乗り越えていくライラの姿が清々しく感じられる一方、ライラの視点を通じていわゆる“大人の都合”や欺瞞が暴かれていくところも、このドラマのおもしろさのひとつだ。かといって単純な勧善懲悪的な物語には決して陥っていない。映画版ではどうしても駆け足になっていた部分もドラマではしっかりと描写されているので、この世界の宗教観や哲学的なテーマも理解しやすい分、より大人が楽しめるファンタジーになっていると言えるだろう。
物語は終盤にいくに連れて、思いもかけない展開に引き込まれていくが、最後まで観終わった後、これが壮大な序章だったと感じられるところは『ゲーム・オブ・スローンズ』にも通じるものがある。原作では第2部から登場するもう一人の主人公ウィルが中盤から登場し、二つの世界の出来事を並行して描いている点も、物語を盛り上げていくのに一役買っている。二人がどういう形で邂逅するのか、期待は高まるばかりだ。