Apr 22, 2017 column

『真田丸』の徳川家康から悩める王子に。内野聖陽主演の『ハムレット』公演レビュー

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昨年の大河ドラマ『真田丸』で威風堂々と(でもちょっと気弱な)徳川家康を演じていた内野聖陽が、シェイクスピア劇で悩めるデンマークの王子ハムレットを演じている。
共演は、貫地谷しほり、浅野ゆう子、映画『哭声/コクソン』の怪演が記憶に新しい國村隼や、ドラマ『視覚探偵 日暮旅人』でクレージーな役を演じた北村有起哉、舞台『真田十勇士』ほかで活躍する加藤和樹など、多彩な顔ぶれが集まった。東京公演は4月28日で千秋楽(毎日当日券が出ているのでまだ見られるチャンスあり!)で、5月からは全国ツアーがはじまる。
ひとりで複数の役を演じ分けるユニークな試みの『ハムレット』の様子を、ネタバレなし、ややネタバレありと分けてご紹介します。

 

「To be,or not to be 生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」というセリフ(今回の舞台では違う訳が使われている)でおなじみの『ハムレット』は、シェイクスピア作品でもとりわけ有名だ。

立派なデンマーク王だったハムレットの父(國村)が急死すると、叔父クローディアス(國村二役)が王の座につき、ハムレットの母(浅野)と再婚する。尊敬していた父の死と、母の早すぎる再婚にショックを受けるハムレットは、父の亡霊に、叔父が父を殺害したことを知らされ、懊悩を募らせる。
亡き父の言葉を確かめるためにある企みを行うと、やはり・・・。それからは血まみれの悲劇が幕を開ける・・・。

 

撮影:引地信彦

撮影:引地信彦

 

『真田丸』で内野が演じた家康はかなり貫禄があった(丸いお腹を出す場面もあった)が、ハムレットは繊細な感じ(設定としては30歳くらいと言われている)。色気ダダ漏れで派手めな役を演じる俳優という印象の強い内野が、うじうじと内にこもった役を演じるのも新鮮で、ほんとうに俳優というのは“化ける”ものだなと改めて感心したのが今回の『ハムレット』だった。というのは、俳優がメインの役以外にも何役か演じ分ける趣向でもあったから。

内野はハムレットのほかに、ノルウェーの王子フォーティンブラスを演じ分ける。
このフォーティンブラスは、ハムレットが次世代を背負うにふさわしいと感じる存在で、主役と次世代の存在と両方演じる趣向は、数々のシェイクスピア劇を翻訳している松岡和子もパンフレットで「前代未聞」と書いているくらいで、とても興味深い試みだ。そして、内野の演じ分け方にも目を見張った。

國村隼は、先王の亡霊とその弟の2役。この役を兼任する手法は時々見かけるが、演出家のジョン・ケアードは、ここから、ほかの俳優が何役か演じ分けることを思いついたとパンフレットで語っている。

誰が何役を兼任するかも、今回の舞台の楽しみのひとつ。
例えば、ハムレットの恋人で、「尼寺へ行け」と捨てられて狂ってしまう悲劇のヒロイン・オフィーリアを演じた貫地谷しほりも意外な役で転生してくる。もちろん、本当に生き返るわけではなく、再登場という意味だが、この役と兼任することに何か意味があるのではないかと深読みする楽しみが加わった。

元来、シェイクスピア劇は、深読みを楽しめる芝居だ。言葉数が多く、理屈っぽい部分も多い一方で、詩のようなイメージ優先で、意味が明示されず、いくらでも解釈できる。狂ったオフィーリアがもった花の花言葉から、彼女の言いたい意味を観客が考察するなんてことは、村上春樹やエヴァンゲリオンをファンが夢中で読み解くのとなんら変わらない。

今回、その解釈を妄想して楽しむ要素が、俳優が複数の役を演じるというところでさらに膨らんだといえるだろう。
シェイクスピアは難しい、と敬遠する人もいると思うが、この『ハムレット』は、俳優たちが複数の役を演じたことによって、期せずしてエンターテインメントの色も強くなって楽しめた。

ここからややネタバレします。