Jan 11, 2020 column

まるで監督自身の物語?『フォードvsフェラーリ』が描く個人と組織のジレンマ

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1960年代の半ば。名門レーシングチームを擁するイタリアのフェラーリ社と、アメリカの大衆車を大量生産するフォード社が、真っ向から衝突した。フォード社によるフェラーリの買収交渉が決裂したことで、フォード社のCEOヘンリー・フォード2世が激怒。憎きフェラーリを、相手の土俵であるカーレースのサーキットで叩き潰すと宣言したのだ。このモーターレース史上でも伝説的な闘いを映画化したのが『フォードvsフェラーリ』。フォード社に招聘されてレーシングカー開発の指揮を執ったキャロル・シェルビーをマット・デイモンが、ドライバーとしてル・マン24時間耐久レースに出場したケン・マイルズをクリスチャン・ベールが演じている。本作のメガホンを執ったジェームズ・マンゴールドの代表作も振り返りながら、『フォードvsフェラーリ』の魅力とテーマに迫る。

66年、世界が注目した“最速”バトルを映画化

ごくわずかな人しか体験することができない時速200マイルの世界。サーキットを揺るがすエンジンの爆音。限られた条件、わずかな期間で王者フェラーリ打倒を目指す男たちの奮闘、スピードへの飽くなき執念で繋がった友情。映像、演技、演出、どれを取っても一級品で、観る者の胸を熱くさせてくれる。

モーターレースの映画だけに、車へのこだわりも半端じゃない。とりわけフォードが開発したGT40が、シェルビーとマイルズによって改良が重ねられ、ル・マン24時間耐久レースにふさわしいスポーツカーへと生まれ変わる過程は、職人のクラフトマンシップを愛する者にとってはたまらない一幕だろう。

1966年のル・マン24時間耐久レースの再現も、スタッフにとって大変な難題だった。現在のル・マンはかなり近代的に整備されており、田舎の道を走るコースも60年代とは大きく様変わりした。そこでスタッフは、ル・マンがあるロワール渓谷に似た地形をアメリカのジョージア州で探し出し、ロサンゼルス郊外の私設空港にル・マンの観覧席やカーピットのセットを実物大で建設。当時の300枚以上の記録写真をもとに細部まで再現された。つまりル・マン24時間耐久レースの場面は、アメリカ大陸の西と東に分かれて撮影されているのである。

組織のなかで夢を追求するジレンマ

しかしながら『フォードvsフェラーリ』は、スポーツカーやモーターレースに興味がある人のためだけの映画ではない。とりわけ映画ファンにとって興味深いのが、本作のストーリーが、まるで監督のジェームズ・マンゴールドの実体験の写し絵のようになっていること。マンゴールドが大手スタジオである20世紀FOXと繰り広げた苦闘の歴史が、そのままシェルビーとマイルズの状況と重なるのだ。

劇中、フォード社に招聘されたシェルビーは、フェラーリに勝つためには欠かせない人材としてマイルズをチームに入れることを主張する。しかし、マイルズは最初はフェラーリに勝つことなど夢物語だと取り合おうとしない。なぜならフォードのような大企業ではシェルビーがレースに勝つために必要なリーダーシップを発揮しようにも、企業の論理で決して自由な采配は振るえないと予感していたからだ。

それでもシェルビーはなんとかマイルズを口説き落とし、ともに打倒フェラーリを目指すことになるのだが、案の定フォード社はさまざまな横やりを入れてくる。そんな社内の政治を象徴しているのが、ジョシュ・ルーカスが演じている重役レオ・ビーブで、宿敵フェラーリ以上に大きな壁として立ちはだかる。

かといってビーブが必ずしも悪役とは言い切れない。ビーブにとってモーターレースはフォード社をPRし、自らが功績を挙げるための手段でもある。ただただ純粋に速さと勝利を追求するシェルビー&マイルズとは、そもそも考え方も目指すものも違っている。『フォードvsフェラーリ』は、組織のなかにいてどれだけ純粋にやりたいことを追求できるかという、仕事をする人間なら誰もがぶち当たるジレンマの物語でもある。