ギリアム=現実に抗い続ける反骨の天才監督
ギリアムという人のおもしろさは、前述した『未来世紀ブラジル』や『バロン』といった“トラブルメイカー”の悪名を馳せた作品こそが、もっともギリアム的な傑作であることだ。この2作はどちらも、ほとんど同じテーマを扱っていると言える。
『未来世紀ブラジル』は、ジョージ・オーウェルの名著『1984年』を思わせる超管理社会のディストピアを舞台に、ことなかれ主義の役人サムが期せずして反体制運動に片足を突っ込んでしまう物語だ。サムという男は、世の中を変えたいなんて大それたことは考えていない。ただ夢の中で恋をした女とそっくりの女性に出会い、彼女を助けたくて法を犯してしまう。サムは結局、巨大な体制から逃れることはできないのだが、ただ夢の中で想像の翼を広げることで、現実の檻から逃れることができるのだ。
『ほら吹き男爵の冒険』を原作とする『バロン』は、陰鬱な悲喜劇である『~ブラジル』とトランプの裏表のように対をなすファンタジーで、中世の町で老男爵が自分の冒険談を語り出す。どれもこれも現実とは思えないような荒唐無稽な内容なのだが、一人の少女が男爵の語る物語を信じてくれたことで、想像上の物語だったはずのほら話が、ついに現実を凌駕するのである。つまりギリアムは、“人間の想像力”こそがつまらない現実に打ち勝つための最大の武器であると信じている作家なのだ。
ゆえにどちらの作品も、全編がオモチャ箱をひっくり返したようなハチャメチャなイメージで彩られており、ギリアムの強烈なビジュアルセンスに幻惑されずにはいられない。脳内から奔流のように湧き出すイマジネーションの豊かさは、年齢を重ねても衰える様子はない。2013年の『ゼロの未来』でも、“レトロ観あふれる未来世界”という点では『~ブラジル』と共通しているのだが、現実の時代の変化を反映させて、やたらとポップで狂騒に満ちた消費社会を生み出した。ギリアムが“人間の想像力”を最上のものと考えるのは、本人が誰よりも想像力に恵まれているおかげとも言える。
にも関わらず、『~ブラジル』でも『バロン』でも現場はトラブルが頻発し、またつねに予算の問題がつきまとって、ギリアムは当初抱いていたアイデアをいくつもボツにせざるを得なかった。もしギリアムが自由に時間と製作費を使えていればどんな映画になっていたのかは、ギリアムの頭の中を覗かない限りわからない。ただ、つねに現実的な問題に圧迫されながら映画を作り続けてきたことが、作品に混沌だけでなく、プラスの意味での緊張感をもたらしてきたと思うのは考えすぎだろうか。