テリー・ギリアムが念願の企画『The Man Who Killed Don Quixote』をついに完成させた。邦題は『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』。昨今、監督の名前をここまで前面に押し出すケースも珍しいが、“テリー・ギリアム”に限ってはそれも当然かもしれない。それほどまでに、ギリアムは強烈な個性を放つ映画作家であり、また、作品そのものとギリアムという人物を切り離すことができないからだ。そして本作は、完成までに30年もかかってしまった曰く付きの映画でもある。その途方もない道程をおさらいしてみたい。
ジョニデ主演で撮影開始するも6日で製作中止に
ギリアムが、セルバンテスの高名な著作『ドン・キホーテ』を映画にしようと言い出したのは、1989年、映画『バロン』(88年)が公開されたころだったという。ただしギリアムは長大な小説を原作にするのではなく、『The Man Who Killed Don Quixote』という“ドン・キホーテ”にまつわるオリジナルのストーリーを生み出した。トビー・グリソーニという現代のCMディレクターが17世紀にタイムスリップしてドン・キホーテと出会い、無理矢理従者にされるというファンタジーだ。
紆余曲折を経ながらも、ギリアムは2000年に撮影にこぎ着ける。トビー役はジョニー・デップ。ギリアムとは1998年に『ラスベガスをやっつけろ』でコンビを組んだばかりだった。ドン・キホーテ役はフランスの名優ジャン・ロシュフォールに決まり、スペインでクランクインしたのだが、なんと6日後には撮影中止となり、製作は完全にストップしてしまった。
この顛末は『ロスト・イン・ラマンチャ』(02年)というドキュメンタリー映画になっていて、不謹慎な言い方が許されるなら、ブラックコメディとして猛烈におもしろい。もちろんギリアムにとっては、手塩にかけた企画が台無しになっていく様を記録した悲劇でしかないのだが。
すでにギリアムは『未来世紀ブラジル』(85年)の最終編集権をめぐってユニバーサル映画と公の場で派手なバトルを繰り広げ、『バロン』(88年)ではトラブルの連続で製作費が膨れ上がり、プロデューサーが“史上最大の予算超過”を売り文句にしようとしたほどだった。業界ではギリアムは素晴らしいイマジネーションを持ちながらも、現場をコントロールできない問題児のような扱いさえされていた。
真偽はともかくその評判を思えば、『The Man Who Killed Don Quixote』が頓挫したことも、ギリアムのお騒がせ伝説に新たなひとコマが付け加わっただけに見えたかもしれない。ただこの2000年の撮影中止は、プロデューサーの力不足やギリアムの見切り発車が原因のひとつではあったとしても、さすがに不幸と不運が重なりすぎた。撮影現場に未曾有の洪水が押し寄せてロケセットが流されたり、ドン・キホーテ役のロシュフォールの体調が悪化して馬に乗ることが叶わなくなったり。映画の神様がいるなら、明らかにギリアムの味方をしてはくれなかったのだ。