Feb 02, 2019 column

村上春樹作品を大胆かつ見事に映画化!『バーニング』から読み解く村上文学の魅力

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村上春樹の短編小説「納屋を焼く」が、『オアシス』(02年)や『シークレット・サンシャイン』(07年)などで知られる韓国のイ・チャンドン監督によって『バーニング 劇場版』として長編映画化された。現代の韓国を舞台にしたことで、村上文学の特異性が鮮明に浮かび上がる映像作品に仕上がっている。『バーニング 劇場版』から、村上作品の面白さを探ってみよう。

 

面白いだけに難しい村上春樹作品の映像化

 

日本だけでなく、世界各国でベストセラーを記録している人気作家・村上春樹。リーダビリティに優れた文章には、洒脱さとシニカルさが含まれ、多くの読者は主人公である〈僕〉もしくは〈私〉に感情移入し、村上ワールドにどっぷりハマってしまうことになる。

読者のイマジネーションを心地よく刺激する村上文学だが、その分だけ映像化は困難だった。知名度のある俳優が村上ワールドの住人を演じると、どうしても熱心な読者のイメージと齟齬が生じてしまうからだ。

その点、韓国映画界の名匠イ・チャンドン監督が村上春樹の初期短編集「螢・納屋を焼く・その他の短編」に収められている「納屋を焼く」を長編映画化した『バーニング 劇場版』は、映像化の成功例に挙げられる作品となった。本作で女優デビューを果たしたヒロイン役のチョン・ジョンソほか、韓国の若手俳優たちが「やれやれ」や「もちろん」などのありがちワードを口にすることなく、村上ワールドを成立させている。

 

 

原作となる「納屋を焼く」が発表されたのは、代表作「羊をめぐる冒険」が刊行された1982年の暮れ。文庫本でわずか31ページしかない短いストーリーを、時間軸を逆転させることで韓国の現代史に鋭く迫った『ペパーミント・キャンディ』(00年)以降、次々と傑作・問題作を放ってきたイ・チャンドン監督は、経済格差が進む現代の韓国を舞台にしたミステリー映画へと大胆に脚色してみせた。

 

パントマイムを演じる不思議な女の子

 

何度も「螢・納屋を焼く・その他の短編」を読み直したという村上春樹ファンも、2018年12月にNHK-BS、およびNHK総合で放送された日本語吹替版『バーニング』(95分バージョン)をすでに観ている人も、上映時間148分の『バーニング 劇場版』は新鮮な驚きを感じるに違いない。

 

 

主人公は兵役を終え、大学を卒業した後はフリーターをしているイ・ジョンス(ユ・アイン)。小説家を目指しているが、まだ書きたい題材を見つけることができずにいる。そんなとき、幼なじみの女の子シン・ヘミ(チョン・ジョンソ)から声を掛けられる。顔を整形したらしく、すっかり垢抜けていた。パントマイムを習っているヘミは、ジョンスの前で存在しない蜜柑を美味しそうに食べてみせる。「あると思うんじゃないの。ないことを忘れればいいの」とヘミはパントマイムの極意を語る。

アフリカへの旅行中、ヘミが飼っているネコの世話を頼まれたジョンスだが、ネコは一度も姿を見せなかった。ネコが実在するのか分からないまま、ヘミは帰国。ナイロビの空港で仲良くなったという裕福そうな青年ベン(スティーブン・ユァン)と一緒だった。3人の奇妙な三角関係が始まる。

ある日、実家にひとりでいたジョンスのところに、外車に乗ったベンとヘミが遊びにくる。軒先に椅子を並べ、ワインと大麻を楽しむ3人。夕陽を浴びながら、旅先で覚えてきたダンスを踊るヘミ。そしてベンは「ビニールハウスを燃やすのが密かな趣味です」とジョンスに打ち明ける。今日もその下見に来たのだと。その日以来、ヘミは消息を絶った。ベンが燃やしたという近くのビニールハウスをジョンスは探すが、どこにも見つからない。次第にジョンスはベンの行動を怪しむようになっていく――。

 

 

村上作品の面白さは文章の巧みさに加え、独特な物語構造によるところが大きい。村上春樹の長編小説のほとんどは人気作「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」をはじめ、主人公のいる現実世界ともうひとつの異なる非現実世界が描かれている。そして、2つの世界は大きな壁によって隔てられている。

オリジナルの作風を模索する画家を主人公にした「騎士団長殺し」では、もうひとつの世界はメタファーの世界として描かれた。目に見える日常世界とは別に、目には見えない非日常的な世界が村上作品には隠されている。どうすれば、現実世界と目には見えない世界とを隔てる壁をすり抜けることができるのか。村上作品の主人公たちはそのことに頭を悩ますことになる。