Mar 24, 2022 column

『ベルファスト』虚構を愛する男、ケネス・ブラナーが描く「半自伝」という現実

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都市という〈密室〉、虚構への愛情

『ベルファスト』の虚構としての魅力は、厳戒態勢の都市や人々を子どもの目線から温かく描いた点と、ベルファストの街をひとつの〈密室〉として見立てた点にある。映画の冒頭からカメラは高い壁を越えて街の中に入っていき、また暴動の後にはバリケードも設置されるが、この映画においてベルファストという街はひとつの〈密室〉なのだ。

すなわち、それは主人公のバディにとって、この街のほかに自分の知る世界がないということである。ベルファストで生まれ育ったマや、わずかに外の世界への憧れをにじませる祖母のグラニーでさえ、おそらくはそうなのだろう。出稼ぎのため、頻繁に外の世界と行き来するパを除いて、一家はベルファストから外に出るという選択肢をほとんど持っていない。もちろん、彼らが生活する家も物理的な〈密室〉である。

こうした〈密室〉という発想があることは、ブラナーがロックダウンを経験する中で本作を着想したという経緯からも明らかだろう。「ステイホーム(STAY HOME)」が世界の合言葉となっている中で、ブラナーは〈密室〉の中で『ベルファスト』の構想を練り上げたのだから。

『ベルファスト』虚構を愛する男、ケネス・ブラナーが描く「半自伝」という現実

現実世界のベルファストを一種の〈密室〉として設定することは、演劇からキャリアを始めたブラナーにとって最適のアイデアでもあった。ごく限られた空間の中で、人間ドラマや作品の主題を駆動させることこそ、まぎれもなくブラナーの得意分野だからだ。本作の場合、空間は街の一角や自宅、学校などであり、描かれるのはバディや家族たちの葛藤、あるいは都市や住民をめぐる主題である。思えばシェイクスピア劇にもそういった特徴はあるし、『オリエント急行殺人事件』や『ナイル殺人事件』の監督にブラナーが向いていたのも、〈密室〉の殺人事件と人間関係が軸になっているからにほかならない。

こうしてブラナーは、『ベルファスト』という映画を作ることによって、自身の経験に基づく物語を撮り、ひとつの現実を虚構として切り取ることに成功した。そして本作は同時に、ブラナーによる虚構へのラブレターでもある。

たとえば、バディが家族と一緒に観た『チキ・チキ・バン・バン』(1968)や『恐竜100万年』(1966)、そして祖母と劇場で観た舞台『クリスマス・キャロル』。それらは色鮮やかで、バディの目には現実よりも美しく映ることさえある。いくら半自伝的作品とはいえ、バディはブラナー自身ではないから、バディが虚構や創作に惹かれていくことは、物語上は特に必然的ではないはずだ。しかし、ブラナーは虚構と対峙する自分の姿をこのように撮るしかなかった。

ここにはカラクリがあって、『チキ・チキ・バン・バン』や『恐竜100万年』『クリスマス・キャロル』は、いずれもブラナーが自伝本にもタイトルを挙げている作品なのである。すなわち、幼いブラナーに深く刻み込まれた、人生を振り返る上で外すわけにはいかない作品だったのだろう。ほかにも映画・テレビ・小説・コミックから多数の作品が引用されているが、いずれもブラナーの人生から切り離しがたいものに違いない(ぱっと見でわかるイースターエッグもある)。

『ベルファスト』虚構を愛する男、ケネス・ブラナーが描く「半自伝」という現実

冒頭で筆者は、ケネス・ブラナーというフィルムメーカーのキャリアを紹介しながら「ブラナーその人の姿は、まるで役柄や作品の中に消えてしまっているかのよう」だと記した。しかし本作はそうではなく、ブラナーは自分の人生になくてはならなかった=ある意味で人生を捧げてきたフィクションへの敬意と愛情を詰め込んだのである。数々の引用は、まさしくケネス・ブラナーその人を表しているものだ。

ところで、あらゆるジャンルの映画を撮ってきたブラナーだが、いまだ挑戦したことがないものが「西部劇」。バディと同じく幼い頃から西部劇ファンだったブラナーは、かねてより西部劇映画のアイデアを練っているものの、残念ながらいまだ実現には至っていないという。しかし本人いわく『ベルファスト』は一種の西部劇として執筆されたとか。クライマックスには、クリント・イーストウッドによる名作『許されざる者』(1992)のポスターを思わせるショットも登場するので、そちらもお見逃しなきように。

文 / 稲垣貴俊

作品情報
『ベルファスト』虚構を愛する男、ケネス・ブラナーが描く「半自伝」という現実
映画『ベルファスト』

ベルファストで生まれ育ったバディは家族と友達に囲まれ、映画や音楽を楽しみ、充実した毎日を過ごす9歳の少年。笑顔にあふれ、たくさんの愛に包まれる日常は彼にとって完璧な世界だった。しかし、1969年8月15日、バディの穏やかな世界は突然の暴動により悪夢へと変わってしまう。プロテスタントの武装集団が、街のカトリック住民への攻撃を始めたのだ。住民すべてが顔なじみで、まるで一つの家族のようだったベルファストは、この日を境に分断されていく。

製作・監督・脚本:ケネス・ブラナー

出演:カトリーナ・バルフ、ジュディ・デンチ、ジェイミー・ドーナン、キアラン・ハインズ、ジュード・ヒル

配給:パルコ、ユニバーサル映画

© 2021 Focus Features, LLC.

2022年3月25日(金) TOHOシネマズシャンテ、渋谷シネクイントほかにて全国公開

公式サイト belfast-movie.com