超高速・超過剰のアトラクションムービー
キーパーソンとなったのは、アディル&ビラル作品の常連者である撮影監督のロブレヒト・ハイファールトと、『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)や『ブレット・トレイン』(2022)などに携わってきたスタント・コーディネーターのグレッグ・レメンターだ。「思いつく限りファンキーなショットを撮ることを試みた」というアディル&ビラルとの共犯関係によって、かつてなかったようなアクションシーンを次々に見せてくれる。
たとえばカラフルでユーモラスな銃撃戦、目にも止まらぬカーチェイス、墜落するヘリコプターの中で繰り広げられる無重力アクション‥‥。FPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)を思わせるスノーリーカム・ショットは見どころのひとつだが、すさまじいのは、この撮影技術が単独で際立つのではなく、一連のアクション・シークエンスに自然なかたちで織り込まれているところにある。
こうした目まぐるしい映像感覚は、アディル&ビラル独自のものであり、同時に現代を生きる人びとの映像感覚に沿ったものでもあるだろう。これは、InstagramやTikTok、YouTubeなどのショート動画に慣れた世代に、『バッドボーイズ』シリーズの物語とアクションを飽きさせることなく伝えるという挑戦だったのではないか。
したがって、この映画はまったく停滞せず、つねに何かが起こり続けている。物語が目に見えて前進するか、トラブルが発生するか、アイデアたっぷりのアクションで観客の視線を釘付けにするか(本国ではR指定になったほどのバイオレンス表現も鮮烈だ)、スミス&ローレンスのユーモアで笑わせるか、あるいは登場人物同士の心の通い合いが垣間見えるか。シリアスなやり取りにもわずかな隙間に笑いを混ぜ、サブキャラクターのアクションシーンにもマイク&マーカスのリアクション――ほとんどワイプ芸の領域である――を挿入するほどの過剰さだ。
「過剰さ」からこぼれ落ちるもの
そう、本作はとことん過剰なのである。物語の整合性やリアリティが気にならない(気にしてはならない)ほどのエネルギーとスピードで、観客を2時間のライド・アトラクションへと連れ出してくれる。クライマックスに至っては、舞台設定からアクションのギミックまで「ここまで要素を増やすのか」と思わせるほど。そんな中にスティーブン・スピルバーグへのちょっとしたオマージュを挟み込むあたりも含めて、高速であること、情報量の密度を高めることへの執念を感じさせる。
これは余談だが、かつて映画監督マーティン・スコセッシは、マーベル映画をはじめとするスーパーヒーロー映画を「映画(シネマ)ではなくテーマパークのアトラクションに近い」と評したことがあった。では、スコセッシはこの作品を「映画(シネマ)」だと思ってくれるだろうか‥‥? ついそんなことも頭をよぎってしまうほど、本作はある意味で突き抜けている。
それでも興味深いのは、本作に確かな『バッドボーイズ』らしさが保たれていることだ。それはスミス&ローレンスのコンビが作り出した、彼らにしか作り出せない空気なのかもしれないし、時折香るノスタルジックさかもしれないし、役柄としては死してもなお存在感を発揮した名優ジョー・パントリアーノの力かもしれない。なにしろハワード警部の登場シーンには、ほかの場面にない渋味が確かにあるからだ。
同時に無視できないのは、前作よりも増した“老い”の気配である。マーカスは映画の序盤で倒れたことで臨死体験を味わい、本作ではマイクもパニック障害の発作と格闘するのだ。2人は昔と変わらないままのようでいて、その肉体も精神も、以前とは明らかに異なっている。今回も若い世代にバトンを渡しきることなく最前線で活躍する彼らだが、演じるスミス&ローレンスの年齢も込みで、この“老い”が『バッドボーイズ』に絶妙な味わいを加えていることも確かだろう。
文 / 稲垣貴俊
マイアミ市警の敏腕ベテラン刑事コンビ、バッドボーイズことマイクとマーカス。彼らの亡き上司ハワード警部(ジョー・パントリアーノ)に麻薬カルテルと関係があったという汚職疑惑がかけられる。無実の罪を着せられた上司のために、独自に捜査をはじめた2人は、上司が遺した最後のメッセージ「内部に黒幕がいる。誰も信じるな!」という言葉を胸に、汚名返上のため、マイアミを離れて命がけの戦いに挑む。
監督:アディル&ビラル
出演:ウィル・スミス、マーティン・ローレンス、ヴァネッサ・ハジェンズ
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
公開中
公式サイト badboys-movie