役の作り込み、役者としての振れ幅の大きさ
菅田将暉が注目されたのは若手俳優の登竜門的ドラマ『仮面ライダーW』(09~10年)だが、その演技力の高さを広く知らしめたのは初めての濡れ場もあった『共喰い』(13年)だ。彼自身も「役者としての転機」と語る本作で、暴力的な性癖のある父親(光石研、怪演!)を嫌悪しつつも、自らにもまた同じ血が流れていることを感じながら生きる高校生を生々しく痛切に演じ、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。じりじりとした暑さや地方都市の閉塞感までリアルに感じさせるスクリーンの中に、菅田将暉は10代ならではの戸惑いや苦悩、焦燥感や欲望を刻み付け、観る者を唸らせた。とは言え、その前に公開された『麒麟の翼~劇場版・新参者~』(12年)で、すでに彼は事故で植物状態という難役を演じ、鮮烈な印象を残している。一見しただけでは、菅田将暉だとわからないくらいに変貌している彼の演技力(というか作り込み)は驚愕必至なので、未見の方はぜひチェックしてみてほしい。
役者にとって体重や体型を変えて役を“作り込む”ことはごく当たり前のことだが、彼の作り込みは徹底している。『海月姫』(14年)で女装趣味の青年を演じた時は2か月で10キロ減量し、骨盤矯正でほっそりしたウエストを手に入れ、除毛してハイヒールを履く生活を続けた。『あゝ、荒野』では反対に10キロ増量。それもただ増量しただけでなく、ボクシングトレーナーについてプロボクサーと同じトレーニングメニューをこなし、見事な細マッチョな体型に! この作品のボクシングシーンは壮絶を極めているのだが、なかなかカットをかけなかったという岸監督はもしかしたらガチでやり合う役者同士の魂のぶつかり合いをいつまでも観ていたかったのかも? 『ロッキー』(76年)や『レイジング・ブル』(80年)の昔から、ボクシング映画はその役者の真価が発揮されるのだろう。
こうした文学的な香りのするシリアスな人間ドラマはほかに、軽いノリのチンピラを歯を汚して演じた『そこのみにて光輝く』(14年)、『あゝ、荒野』の岸善幸監督の『二重生活』(16年)、『生きてるだけで、愛。』(18年)などがあるが、コメディでの彼もまた見逃せない。若手俳優たちがこぞって出演を望むコメディ界の雄・福田雄一監督の落語をベースにした『明烏』(15年)や『銀魂』シリーズ(17・18年)、真剣になればなるほどバカバカしい笑いを誘う『帝一の國』(17年)、総理大臣の父親と入れ替わってしまうボンクラ息子に扮し、ある意味二役とも言えるドラマ『民王』(15・16年)など、熱血・軽妙・飄々とあらゆる笑いに馴染む。一方で、ヒリヒリとした恋愛青春模様を体現した『溺れるナイフ』、人間関係が極端に苦手な変人を演じた『となりの怪物くん』(18年)など、少女漫画原作の作品にもヴィヴィッドな息吹を与える。こうしてザッとフィルモグラフィーを見るだけで、役者としての振れ幅の大きさが尋常ではないのがわかるだろう。