その流れは続いた。ノーランは、『300 <スリーハンドレッド>』(07年)で怒涛のアクション絵巻を、『ウォッチメン』(09年)でヒーローの在り方を描いたザック・スナイダー監督とタッグを組み、記念すべきDCEU第一作にしてスーパーマンのリブート作『マン・オブ・スティール』(13年)に着手する。陽性の象徴であるスーパーマンを悩み多き青年として描く様はさすがのリアル志向の二人たる徹底ぶり。しかし宿敵ゾッド将軍との戦いでは、破壊の限りを尽くし被害者も大量に生みだすカタルシス無き結果に。リアルを追求しすぎた結果、沈んだトーンを貫いた作風は賛否を呼んだ。
続く『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(16年)ではさらに深い闇をもたらす。自らの存在の危険性に嘆くスーパーマンと、その被害で部下を失ったブルース・ウェイン/バットマンによる“正義vs正義”の、救いのないぶつかりが約2時間半という長きにわたり描かれた。バッドエンドで幕を下ろした物語は、DCEUの“暗さ”の極みとなった。その後に登場した『スーサイド・スクワッド』(16年)でアンチ・ヒーロー軍団は、身内同士の争いに終始。ハーレイ・クインという稀代の名キャラクターは成功を呼び込んだが、DCコミック映画の“家族で楽しむ”要素は遠ざかっていった。
そんな中、一筋の光をもたらす存在がいた。ワンダーウーマンだ。『BvS』にて死に瀕しようとしていたバットマンを救い、強敵ドゥームズデイに正面からぶつかり翻弄する。彼女の登場は鎮痛なDCEUに目の覚めるような一撃をかましたのだ。その勢いのまま17年に公開された『ワンダーウーマン』はエポックとなった。第一次大戦が舞台という社会的なテーマは横たわっているものの、演じるガル・ガドットの美しさと共に、困難に対し前向きに突き進んで打破するスーパーヒロインの誕生は、世界中で愛されることに。同時に興収の低下が叫ばれていたDCEUに復活の息を吹き込んだ。
ワンダーウーマン人気に背中を押されるように始まった『ジャスティス・リーグ』(17年)。途中降板したザック・スナイダーから『アベンジャーズ』(12年)の監督・脚本で知られるジョス・ウェドンが引き継ぎ、ウィットに富んだ会話、テンポよく繰り出されるアクション、そしてチームとして結束した6人が巨悪をぶちのめすという、今までのDCEUの路線を180度転換したかのような明快なまでのヒロイックさは、驚きをもたらした。間違いなく、DCEUの路線変更を確立させた一作となった。
そして満を持して登場した『アクアマン』の特大ヒット。これには人々がDC映画に何を求めていたかがよくわかる。そう、あのドナー版『スーパーマン』のように、誰もが楽しめるヒーロー映画への回帰だ。『アクアマン』の存在を持って、ここから新たなDCEUが始まるはずだ。