May 18, 2023 interview

宮沢氷魚インタビュー とても慎重に大事に役と向き合った『はざまに生きる、春』

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宮沢氷魚主演、小西桜子共演の恋愛映画『はざまに生きる、春』。雑誌編集者・小向春が取材先で出会ったのは発達障がいを公表する人気画家・屋内透。彼は感情のままに行動し、人の気持ちを汲み取れないことから春をやや振り回します。それでも春は自分とは真逆で思ったことをストレートに口にする屋内に惹かれていきます。本作の監督、脚本を務めるのは自身も出版社で漫画編集者をしながら自主制作で映画を作ってきた葛里華。彼女の長編初監督作品となる本作は、「普通」に対して疑問を投げかけつつ、「個性」から生まれる表現力や魅力を伝える作品でした。今回は主演の宮沢氷魚さんにマイノリティの人々を演じ続ける思いや、演技への取り組み方をじっくり伺いました。

―― 映画『エゴイスト』(2023) での【第16回アジア・フィルム・アワード】最優秀助演男優賞受賞、おめでとうございます。記事も読ませて頂きました。感無量でした。

ありがとうございます。まさか自分が受賞出来るとは思っていなかったので、本当に驚きました。いまだに実感がありません。家にトロフィーが置いてあるのですが、それを見ても“本当に自分が受賞したんだっけ?”と思ってしまうぐらいで‥‥ (笑) 、夢のような時間でした。

―― 私には発達障がいの子どもを持つ友人も居るので、今回の『はざまに生きる、春』が「発達障がい」という言葉を前に出して製作されたことが感慨深かったです。

今回のプロジェクトは、自分を当て書きした作品を色々な方に書いて頂いて、その中から僕が最終的に選ばせて頂いた作品が『はざまに生きる、春』でした。僕にも近い存在に発達障がいの人が居ます。僕が小さい頃から彼の成長を見てきて、何かしらの形で彼の力になれたらという想いがありました。この作品の台本を読んだ時に彼の姿が浮かんだんです。もちろん難しい役ではありますが、自分だったら出来る気がしてやることにしました。

―― 今は発達障がいの人を描く映画が少しずつですが増えてきています。でも、しっかりと診断名である「発達障がい」という言葉が出ていない作品が多いですよね。そんな中で本作では【アスペルガー】と言う言葉を出していました。それにより、さらに多くの人々に届くのはないかと思います。

僕もそのことがこの作品に出演するにあたり、とても大事にしていたことです。やはり発達障がいという認識が、世間ではまだまだ薄い気がしています。何となく“そういうものがあるよね、そういう人は居るよね”みたいな認識があっても、果たして【アスペルガー症候群】の特性を持つ人がどういう人間でどういう生き方をしているのか?ということまでは知らない人が多いと思うんです。

この作品を通して【屋内透】という人物と彼の特性について色々と考えるきっかけになってくれればいいと思います。その分、僕にも大きな責任があると思っています。その理由としては、この映画を観てアスペルガー症候群のことを知る人も多いと思うんです。なので、ちょっと自分の表現の仕方が間違っていたり、作品の方向性が違った場合、発達障がいの方々への差別であったり、間違った認識を助長させてしまう可能性もあると考え、とても慎重に大事に役と向き合って、この作品を無事に完成させることが出来たと思っています。

―― 『his』(2020) 、『エゴイスト』(2023) もそうですが、まだまだマイノリティ (少数派) とカテゴライズされてしまう役柄を演じようと思うのは何故ですか。

そうですね。そういう作品に出演できるということは、とても意味があることだと思いますし、社会の中で何かしらの意見を述べるテーマや、今は対立している2つの意見がぶつかり合うきっかけを作る作品に出演できるということに、とてもやりがいを感じています。

自分もアメリカと日本のクォーターで、教育もインターナショナル・スクールという狭い世界で生きて来た身としては、自分自身がマイノリティということもあるので、共感出来る部分もあります。断言はできませんが、だからこそ自然と『はざまに生きる、春』『エゴイスト』『his』という作品に魅了されるのかもしれません。

―― この映画では強調的に「普通」という言葉が出てきます。だからこそ生きづらさを抱える人もいる社会に関してどう感じていますか。

日本は教育においても皆が同じ様な教育を受けていますし、島国ということもあり、人種的にも外から入ってくるものに対して自然とちょっと抵抗を感じてしまう人が多いのかもしれません。それは必ずしも悪い事ではありません。歴史的にも鎖国をしていますし、島国だから外部の者をなるべく入れたくないというか、世界を見なくても日本の中で経済は回っているし、何とかなっているから“とりあえず大丈夫でしょう”という元々の人間性があると思います。

そう感じるからこそ、僕は自然とマイノリティにスポットライトを当てるというか、“当たればいいな、僕に何か出来ることはないか”と常々、思っています。