おもちゃが本当は生きていて、自由に話したり行動したりしていたら――。この素晴らしく夢のあるコンセプトによって、大ヒットを記録したピクサー・アニメーション・スタジオによる第1作『トイ・ストーリー』(95年)。あれから約四半世紀、劇場公開作としては最新作で4作目を数える『トイ・ストーリー』シリーズは、いまや世代を超えて多くの人に愛されている。しかし、記念すべき第1作の誕生までには紆余曲折の歴史があり、その誕生はアニメだけでなく、映像というメディア全体に大きな変革をもたらした。そして現在、何度目かの黄金期といえるディズニーアニメーションの世界的隆盛は、最新作が公開されるいま、大きな転換期を迎えようとしている。
1995年の『トイ・ストーリー』が出来るまで
現在ディズニーの完全子会社であるピクサーだが、もともとはルーカスフィルムのCGアニメーション部門を、当時アップルから離れていたスティーブ・ジョブズらが1986年に買収して設立された。時代を先取り、早くからアニメへのCG技術の必要性を感じていたピクサーの共同設立者エドウィン・キャットマルとジョン・ラセターは、ジョブズによる買収よりずっと前からCGアニメの企画を練っていた。しかしジョブズの目的は、金にならないアニメよりも、ピクサーの面々がルーカスフィルム時代に開発した映像制作のハイスペックコンピューターを売ること。キャットマルとラセターは、コンピューターを売るかたわら短編アニメーションの制作を続け、さらにディズニーとも契約し、CGやデジタル処理を使ったアニメの下請け作業を請け負っていた。それでもピクサーは毎年赤字の状態が続き、ますますジョブズがアニメ制作に難色を示す中、最後の手段として制作したのが『トイ・ストーリー』だった。ついにピクサーは、ディズニーと長編映画の資金提供契約に成功したのである。こうして、まだ世の中にWindows95がリリースされたばかりという時代に、超実験的な世界初の長編フルCGアニメーション映画『トイ・ストーリー』が誕生したのである。
※このあたりのピクサーの成り立ちや、『トイ・ストーリー』の完成までの歴史は、書籍『ピクサー 早すぎた天才たちの大逆転劇』(ハヤカワ文庫)に詳しい。興味がある人はぜひご一読を。
『トイ・ストーリー』が世界に与えた衝撃
無謀と言われた『トイ・ストーリー』は、全世界で驚きをもって迎えられ、大ヒットした。全米では年間1位の興収を達成し、アカデミー賞ではオリジナル脚本賞などに候補入り。そして“アカデミー特別業績賞”というレアな賞が監督のラセターに与えられたことが、この作品の特別さを証明している。そして脚本賞ノミネートが示す通り、よく練られたストーリーが秀逸で、主人公のおもちゃたちに新しい仲間が入り、人間に捨てられる恐怖、そして嫉妬と友情をコミカルに描いていく。最後はライバル同士が手を取っての大冒険。おもちゃなのに人間味があり、希望にあふれていて爽快。子どもから大人まで楽しめる文字通りの傑作に仕上がった。
そして何より素晴らしいのは、このおもちゃの物語をフルCGで描くことが最も効果的だったということだ。当時のCG技術は、まだ人間をリアルに描写することはできないし、かといって2Dアニメでは誰も驚かない。しかし当時の3DCG技術でも、おもちゃのプラスチックの質感ならば十分に表現可能であり、それによって実写や2Dアニメでは不可能な表現を可能にする。そしてフルCGならではのカメラアングルの自由さも最大限に活用。おもちゃの目線で描かれた人間の世界は、小さな大冒険の舞台となって、これまでにないカメラワークを可能にした。ピクサーは、この世界初の試みをただの“技術博覧会”にせず、ストーリーをより良く描くためのツールとして使用したのだ。“技術よりも、良質なストーリーありき”。それがこの作品を魅力的にしている最大の要因であろう。
さらに本作はもうひとつ大きなことを成し遂げている。90年代前半は、“ディズニー・ルネサンス”と呼ばれるディズニー第二次黄金期であり、『リトル・マーメイド』(89年)、『美女と野獣』(91年)、『アラジン』(92年)、『ライオン・キング』(94年)という2Dミュージカルアニメーションが毎年のようにヒットを連発していた頃。製作費も右肩上がりで、同じ1995年公開の『ポカホンタス』は5,500万ドルもの製作費をつぎ込んでいる。しかし『トイ・ストーリー』の製作費は3,000万ドル。フルCGアニメはコスト面でも有用であることを証明して見せたのだった。こうしてハリウッドの劇場アニメーションは大きな転換期を迎えていく。