映画『アバター』は、『ターミネーター』シリーズや『アビス』(1989)『トゥルーライズ』(1994)などの映画監督ジェームズ・キャメロンのキャリア後期を占める一大シリーズだ。大ヒット作『タイタニック』(1997)を最後に、キャメロンが手がける長編劇映画は現時点で『アバター』のみである。
もっとも、キャメロンはかつてこのように語っていた。「『アバター』の世界は広大です。私が伝えたい物語のほとんどは、そのなかで語ることができる」
第3作めである『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』は、シリーズで最もダークな領域に踏み込んだ物語だ。副題「ファイヤー・アンド・アッシュ」の“炎”は怒りや憎しみ、暴力の象徴。“灰”はその余波、悲しみや喪失の象徴だという。そして、悲劇は次の暴力を生む――この悪循環を映画のなかで表現しようとしたのだ。
公開に先がけ、タイトなスケジュールのなかで来日したキャメロンが、『アバター』ひいては映画というメディアを通じて“暴力”を描くことの意味を語ってくれた。
アクションよりもエモーショナルを
『アバター』(2009)で、惑星パンドラの先住民ナヴィの一員となった元海兵隊員のジェイク・サリー。森に暮らすオマティカヤ族の女性ネイティリと夫婦になり、子どもたちをもうけるが、前作『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(2022)では、人類との戦いのなかで長男が戦死した。
ジェイクやネイティリたちが家族の喪失に向き合うのが、本作『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』だ。キャメロンは「過去作よりもアクションは少なめ。ささやかで親密、感情的なシーンを増やしました。よりエモーショナルな映画にしたかったのです」と話す。

「妻のネイティリは怒りと憎しみを抱え、息子の死を経験し、よりダークなキャラクターへと変化していきます。ティーンエイジャーや小さな子どもたちも、戦闘のなかで自分自身を表現し、証明しなければなりません。たとえば、次男のロアクと父ジェイクの葛藤は戦いの中で解消される。また、ジェイクとネイティリの葛藤は異なる形で解消されます。ネイティリは自らの憎しみと対峙しなければならないからです」


キャメロンは「あらゆる芸術は個人的なものであるべき」といい、「すべての登場人物に私自身が反映されている」と語る。とりわけ主人公のジェイクには自らを投影しており、深い共感を抱いているそうだ。キャメロン自身、ジェイクと同じく5人の子どもの父親なのである。
「脚本を書いていた2015年、私の子どもたちは10代で、思春期の不安や反抗期といった問題を抱えていました。私自身にもそんな時期はありましたが、すでに視点が変わっていた。そこでジェイクにはたっぷりと、彼の子どもたちには少しだけ自分を反映しました。私は、昔の自分が反抗していたようなクソ厳しい父親になっていたのです(笑)」