1964年の東京オリンピックで金メダルに輝いた女子バレーボール・チームを追ったドキュメンタリー映画『東洋の魔女』(原題: Les Sorcières de l’Orient)が、11月13日(土)に「フランス映画祭2021 横浜」で上映されることが決定。映画祭での上映後に、金メダリストである《東洋の魔女》のメンバー4名による舞台挨拶も行われる。
記憶に新しい2021年夏、2度目の東京オリンピック。その57年前の1964年10月。高度経済成長を間近に控えたこの時期に、戦後復興の象徴として日本で最初のオリンピックが開催された。柔道、体操、レスリング、次々にメダルを獲得していく日本人の姿を見て、国民たちは熱狂した。なかでも、圧倒的な実力を見せたのが女子バレーボール代表だった。
この度、本作の日本版予告映像が公開された。
日本チームを率いるのは、インパール作戦に従軍し、死地を潜り抜け奇跡の生還を果たした大松博文、通称《鬼の大松》。メンバーの大半は紡績工場で働く工員で、連日深夜まで大松による徹底的な特訓を受ける生活を送り、次第に世界から《東洋の魔女》と恐れられるようになった。彼女たちはオリンピックでも圧倒的な強さで勝ち進み、決勝で最大のライバル・ソ連代表と相まみえた。彼女たちは秘密兵器”回転レシーブ”を武器に、圧倒的な体格を誇るソ連代表を追い詰めていく。そして、全国民が固唾を呑んで見守るなか、1964年10月23日20時55分、世紀の金メダル獲得。
この時、日本の人口は約1億人。さらにはミッチー・ブームの影響もあって白黒TVの普及率は87.8%もありピークに達していた。最も驚くべきはTV視聴率であり、ソ連戦の最高視聴率は95%、平均しても66.8%に達していたと言われている。この勝利は、まさに当時の日本国民全員が目撃した瞬間であり、戦争の影を引きずる日本に再び自信と誇りをもたらしたのだった。また、その熱狂はその後、空前のママさんバレー・ブームを引き起こし、『アタックNo.1』や『サインはV!』をはじめとする、「スポ根」ジャンルの興隆へと繋がっていった。
そんな彼女たちも今や80代に差し掛かっている。“魔女”、“スパルタ”、“鬼の大松”・・・仰々しい言葉とともに語られてきた彼女たちが、自らの口で、その思い出を語り始める。今なお、若々しく人生を謳歌する“魔女たち”の姿を撮影したのは『誰も知らない』(04)などで知られる名カメラマン・山崎裕。
監督は『オリンピア52についての新しい視点』(13)や『完璧さの帝国』(18)といったフッテージ・ドキュメンタリーで高い評価を得てきたフランスの奇才ジュリアン・ファロ。市川崑の『東京オリンピック』(65)からカンヌ映画祭グランプリ作品『挑戦』(63)、さらにはアニメ『アタックNo.1』(69-71)や戦後日本の風景までをふんだんに織り交ぜ、単なるノスタルジーに収まらない新たな《東洋の魔女》像を浮き彫りにしていく。
《東洋の魔女》が真に成し遂げたものとは何だったのか?何故あれほどまでに、日本は彼女たちに熱狂したのか?ドキュメンタリー映画『東洋の魔女』は、11月13日(土)に「フランス映画祭2021 横浜」にて上映。12月11日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国公開。
日本で最初のオリンピックが開催された1964年。次々とメダルを獲得していく日本人の姿に国民たちは熱狂し、なかでも、圧倒的な実力を見せたのが女子バレーボール代表だった。世界から「東洋の魔女」と恐れられた日本代表チームは、圧倒的な強さで勝ち進み、決勝で最大のライバル・ソ連代表を破り金メダルを獲得。その偉業は、金メダル獲得以上に、戦争の影を引きずる日本社会に再び自信と誇りをもたらした。その後、空前のバレーブームを巻き起こし、「努力、友情、秘密兵器」を定式とする「スポ根」ジャンルの興隆へと繋がっていく。《東洋の魔女》が真に成し遂げたものとは何だったのか?その秘密が今、解き明かされる。
監督・脚本:ジュリアン・ファロ
撮影:山崎裕
配給:太秦
©UFO Production ©浦野千賀子・TMS
2021年11月13日(土) 「フランス映画祭2021 横浜」にて上映
(映画祭公式サイト unifrance.jp/festival/2021/films/382/)
2021年12月11日(土) 渋谷ユーロスペースほか全国公開
公式サイト toyonomajo.com