今年の第74回エミー賞ドラマ部門主演女優賞にノミネートされている女優ジョディ・カマーが主演するNTLive『プライマ・フェイシィ』が日本公開に先駆け、7月21日(木)より本国イギリスで公開が始まり、驚異的なヒットを記録した。
イギリス・デイリーメイル紙の記事によると、スージー・ミラーによる脚本で、ジャスティン・バトラーが演出したこの作品は、公開初日に140万ポンドというパンデミック以降 最も高い興行収入を記録し、不振だった英国の映画館に盛況を取り戻した(数字を収集した時点ではいくつかの映画館が興行収入を報告していなかったため、実際の数字はもっと高くなる可能性があるよう)。Screen Dailyによると、映画館は需要に追いつくために追加上映をしているほどだという。
批評家たちは、性的暴行で訴えられた男性を弁護する若い法廷弁護士テッサ(ジョディ・カマー)が、自ら暴行を受けるまでを描いたカマーの演技を称賛。彼女にとってはウエストエンドのデビューの作品で、主人公は弁護士だが、カマーは筋書きに登場するすべての人物の役を演じる。ナショナル・シアターはこの作品を(イギリスの)映画館で12週間公開すると発表し、10月まで続く予定。日本では8月5日(金)からTOHOシネマズ 日本橋ほかにて劇場公開される。
この度、作家 スージー・ミラーのライナーノーツが公開された。
※プライマ・フェイシィ = 法律用語で「反証しないかぎり一応事実とされること」という意味
『プライマ・フェイシィ』の構想は、私が戯曲を描き始める前、ロースクールで学んでいた時からずっと頭にありました。書く勇気が持てるまで、そしてこの物語が受け入れられる適切な社会的な環境が整うまで待っていた作品です。#MeToo運動が注目されたおかげで、この『プライマ・フェイシィ』をついに世に出すことができました。弁護士として人権問題と刑事事件に関わっていくうちに、女性の視点から法制度に対する疑問が湧いてきまた。なぜならば、私自身、「疑わしきは罰せず」という人権を守るための原則を固く信じている一方で、この原則を性的暴行事件に当てはめると、むしろ裁判の公正さを損なっているのではないかと、常に感じていたからです。
この戯曲を読む前に、あるいはこの劇を鑑賞する前に警告しておきます。この物語では性的暴行事件の詳細に触れています。それは、被害者女性の恐ろしい経験を法律がどのように解釈していくかを見せるためです。
現在の法制度は男性中心の視点から作られています。女性は夫、兄弟、そして父親の所有物であるとみなされていた時代を背景に、何世代にも渡り、男性判事たちが判決を下し、何世代にも渡り、男性政治家たちが法律を制定してきました。
そのため、性的暴行に対する法律が、女性の現実とフィットしないのです。(性的暴行罪の)無罪か有罪かは、加害者側である(一般的に)男性側が、合意の上での行為だと信じるに足る十分な理由があったかどうかに焦点が当てられ、判断されます。被害者である(一般的に)女性側は、常に厳しく詰問され、屈辱的な経験を追体験させられ、しまいには加害者とされる人物をおぞましい犯罪で告発した動機について被害者自身に思惑があるのではないかと疑いをかけられることもあります。しかし重要なのは、性的暴行事件では女性が証拠を見せても、信じてもらえないことです!しかも同じ女性にさえ。
性的暴行事件は、裁判が先延ばしされ、証言のために出廷し、尋問され、メディアに書かれて、被害を公にされます。それを耐えるには、かなりの勇気が必要です。短期間で終わるものではなく、皮肉なことに法が正しく裁いてくれるとただひたすら信じて訴えるしかありません。しかし、実際の法制度はそれほどの信頼に値するものなのでしょうか?もしくは、女性は黙っているしかないのでしょうか?どうしたら社会が、そして法制度が、この分野の法律の改正に進展することができるのでしょうか?