独自の画風を確立したコロンビアの巨匠、フェルナンド・ボテロの波乱万丈な人生と、多幸感あふれる創作の秘密に迫る傑作ドキュメンタリー映画『フェルナンド・ボテロ 豊満な人生』。
肖像画というと、一般的には写真のように端正に描かれたものを想像するだろう。しかし、ボテロの肖像画では、すべてぽっちゃりとデフォルメされた、風船のように膨れ上がったオーバーサイズの人物しか登場しない。なぜボテロはそんなオリジナリティ溢れる“ボテリズム”と呼ばれる絵を描くようになったのか?
この度、ボテロ本人が“ボテリズム”誕生の瞬間を語るインタビュー映像が公開された。
美術史を紐解くと、ルーベンスやルノワールなど巨匠たちが女性の美しさを強調するため、また自らの好みを反映させて豊満な女性を描いてきた。しかし、ボテロの作品は、豊満というレベルをはるかに超え、さらに、人物に留まらず、動物や植物、静物までもを重量感溢れる姿で描いている。そこで気になるのが、〈なぜボテロは太ったものや人ばかりを好んで描くのか?〉という疑問。
多くのインタビューで同様の質問を投げかけられているが、ボテロ自身は明確な答えを出していない。しかし、どの質問に対しても終始一貫して主張しているのは、「決して太った女性を描こうとしているのではない」ということ。「描く対象の美しさや官能性を追求した結果、徐々に今の作風にたどり着いたのだ」と語っている。では、こうしたふくよかな作風は、いつ、どのようにして形成されたのか。
ボテロが画家を目指そうと決意したのは10代半ば。闘牛士を養成する学校に通っていたが、闘牛士になる訓練よりも、牛の絵を描くことに夢中になり、初めて絵を売ったのも、闘牛士の売店での委託販売で、売り上げはわずか2ペソだったという。その後は、地元の商業誌のイラストレーターとして食いつなぎながら、画家への夢を追い続け、当時、美術館のなかった故郷メデジンから、留学資金を溜め、ヨーロッパへと絵画を学ぶために留学した。
まず最初にたどり着いたスペインで、ベラスケスやゴヤの作品から学び、パリでひと夏を過ごした後、イタリアで、ルネサンスの巨匠ピエロ・デラ・フランチェスカに惹かれてフィレンツェへ移住する。ボテロ独特の「ふくよかさ」や「豊満さ」が意識されたのが、このフィレンツェで、イタリア・ルネサンス期に活躍した画家たちの絵を見たり、大学で絵画理論の講義を受けたことがきっかけになっている。
そして、ボテロに決定的なインスピレーションを与えたのが、楽器のマンドリンを描いている時、丸々とした大きな形でマンドリンを描き、最後に開口部を意識的に小さく描いてみたところ、マンドリンが大きく膨れ上がって、爆発したような感覚を得たという。映画のなかではボテロ自身が、この時受けた衝撃的な感覚を表情豊かに語っている。
映画『フェルナンド・ボテロ 豊満な人生』は4月29日(金・祝)よりBunkamuraル・シネマほかにて全国順次公開。
世界で最も有名な存命の芸術家、フェルナンド・ボテロ。人間も静物もなぜだかみんなふっくら、ぷっくりと膨らみ、素朴でユーモアあふれる作風が愛される巨匠。90歳のマエストロは現在も毎朝アトリエに通い、多幸感あふれる独創的な作品を生み出し続けている。本作では、幼い頃に父を失った貧しい少年が、闘牛士学校に通いながらスケッチ画を描いていた原点から、対象物をぽってりと誇張する“ボテリズム”に目覚め、『モナ・リザ、12歳』のMoMA展示で一躍注目を浴びアート界の頂点へとたどり着いた軌跡を追いかける。一方でコロンビア出身という出自で差別され、ポップアートや抽象表現主義全盛期に具象画を描く頑なさを批判されたことも。愛息の死、自身の利き手の一部を失う悲劇など、精神的にも肉体的にも作家生命が危ぶまれた衝撃の過去が明かされる。
監督:ドン・ミラー
配給:アルバトロス・フィルム
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2022年4月29日(金・祝) Bunkamuraル・シネマほかにて全国順次公開
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