May 26, 2021 news

映画『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』大黒摩季のアレサ愛に溢れた長文レビューが到着!

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1972年に教会で行われた「ソウルの女王」アレサ・フランクリンによる幻のコンサート・フィルムが、49年と時を経てついに日本公開。『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』は5月28日(金)より、Bunkamuraル・シネマほかにて全国ロードショーを迎える。

2018年8月16日、惜しくもこの世をさってしまった「ソウルの女王」アレサ・フランクリン。1972年1月13日、14日、ロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で行われたライブを収録したライブ・アルバム「AMAZING GRACE」は、300万枚以上の販売を記録し大ヒット。史上最高のゴスペル・アルバムとして今も尚輝き続けている。

その感動的な夜が遂に映像で蘇る。コーネル・デュプリー(ギター)、チャック・レイニー(ベース)、バーナード・パーディ(ドラム)らに加えサザン・カリフォルニア・コミュニティ聖歌隊をバックに、アレサが自らのルーツである”ゴスペル”を感動的に歌い上げた今や伝説となっているこのライブは、実はドキュメンタリー映画としても撮影されていた。当時監督を務めたのは、映画『愛と哀しみの果て』で知られアカデミー賞を受賞しているシドニー・ポラック。アルバム発売の翌年に公開される予定だったが、カットの始めと終わりのカチンコがなかったために音と映像をシンクロさせることができないというトラブルに見舞われ、未完のまま頓挫することに。しかしいま、スパイク・リーらをプロデューサーに迎え、長年の月日が経てテクノロジーの発展も後押しし、遂に映画が完成。

この度、本作を一足早くご鑑賞されたシンガーソングライターの大黒摩季さんよりスペシャルレビューが到着。

「くれぐれも私は自称、かなりのアレサフリークです!(笑)。なので、アレサ・フランクリンを語り出したら相当長文になります故、お許しください(苦笑)。」という言葉通り、なんと9000文字を超えるアツい内容となっている。2019年にはアレサ・フランクリンの命日に追悼ライブも企画・開催した大黒摩季さんが語るアレサの魅力、同じ歌い手だからこそ重ねることができる思いは必見!
※本レビューは映画『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』本編の内容を含みます。


●大黒摩季さんの寄稿レビュー


「 誰のためでもない、愛する人のためにアレサは歌うんです。 」

はじめに

くれぐれも私は

自称、かなりのアレサフリークです!(笑)。なので、

アレサ・フランクリンを語り出したら相当長文になります故、お許しください(苦笑)。

16歳の時、それまでクラシックと日本のROCK、ニューミュージック以外、洋楽は小林克也さんのベストヒットUSAかFMで流れてくるものしか知りませんでしたが、ふと洋楽をコピーしてみようと中古レコード屋さんでジャケ買いをしたその中に、

アレサ・フランクリンの「 Lady Soul 」というアルバムがあり、そのパワフルでソウルフルな声の威力に衝撃を受け、それからというものそのアルバムがデータ飛びするくらいに聞いてはその歌をコピーしまくり、更にはアレサに影響を受けたというホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーも連なってコピーしたおかげで、今のROCKだけれどソウルフルと言っていただける大黒摩季の歌となったのです☆彡

その、私が敬愛してやまないLady Soul “ アレサ・フランクリン ” は、ざっと復習すると

3年前の2018年8月16日に膵臓癌のため76歳で他界、私をはじめ世界中から惜しまれ天国へと旅立ちました。その翌年の2019年その御命日にアレサフリークの女性アーティストを集めて私もアレサの追悼ライブをやり、彼女の生き様そして音楽を偲び称え歌ったことを今も鮮明に覚えています。コロナ禍でなければ毎年、アレサを歌う日は続けたかった。

話は戻りますが、彼女は1961年のデビューから私が生まれて(1969年大晦日生まれ)2歳にもならない頃、

1971年頃までの10年間に、劇中のナレーションにもありますが20枚以上のアルバムをリリースし、11曲のナンバーワンヒット曲を輩出、名実ともに “ Lady Soul ” という不動のポジションを確立したわけです。

そのヒット曲と言えば、「 デイ・ドリーミング 」「 ベイビー・アイラブユー 」をはじめ、私の声が人生で初めてCDに収録された運命のオムニバスアルバム「 ROYAL STRAIGHT SOUL 」でもカヴァーさせていただいた、アレサの名刺ともいえる「 Respect 」。

これもまた私がリスペクト♪してならない世界的シンガーソングライター、キャロル・キングの作品であり、今や私のジンクス曲となっている「 (You Make Me Feel Like) A Natural Woman 」、「 I Say Little Prayer 小さな願い 」

「 明日に架ける橋 」「 Think 」 …etc.アーティストとのコラボを入れたらヒット曲はキリが無いのです。

でも、その栄華と安定に甘んじることなく彼女は1972年1月、自分が思う自分の世界へと踏み出します。子供の頃から歌ってきたルーツ音楽、ゴスペルを中心とした教会で二日間のLive Recording&ドキュメント映画収録☆彡

アレサはメンフィスで生まれ、デトロイト育ち。教会の家に生まれ、お父様が高名な牧師さん&ゴスペルシンガー、お母様も優れたピアニスト&シンガーと、所謂歌に関してはサラブレッドであり、神様と愛とリズム&ブルースが彼女の血肉だったわけです。

日本のドメスティックな活動しかしていない私には甚だおこがましい話しですが、

彼女が眩いヒットメーカーから一転して、教会という小さな場所でルーツに返るLIVEを開催する気持ちはよく分かります。ヒット曲を量産し、気づけば自分自身が商品そのものとなり、このままでいいのか?私が望む生き方はこんなだったのか?なんで自分は変わりないのに周りの人たちがこんなに変わってしまうのか?自分はどこへ向かっているのか?間違っているなら修正せねばならない・・・。

ある程度、上り詰めて先が見えてくると物理的&成果主義である商業エンターテイメントの底と天井が見えて、むしろ音楽との付き合い方や生き様論や、自分が何のために音楽を奏でつくり届けてきたのか、今後どう生きるべきかというところに立ち返るのです。

自分の背に家族は勿論、沢山の人の生活も担っているわけで、それをアーティストとしての欲求と意思だけで振り払ってよいものかとも悩みながら、つまり過渡期であり変革期でもあるのです、10年目というのは。

嬉しい悲鳴でしょ!世間から見る夢も叶って、大金持ちになって何を悩むの?なんの不満があるの?と人は言う。だからこそ、会話にならない為にそれまでの仲間や友達と疎遠になり孤立する。

けれど、本人からすれば、ソロヴォーカルとして全てを背負い恐怖にも近い責任感と緊張感と闘い続ければこそのことであり、その孤独感と重圧に壊れていくアーティストも少なくないのです。でもアレサがそうならなかったのは、いつだって深い信仰心とゴスペルという神と人を繋げる音楽のルーツがあること、女性として母として誰かへの愛のために歌っていること、つまり一般の友達に話してもわかってもらえないレベルの痛みと苦しみ、そしてプレッシャーの中でもブレない音楽との付き合い方があったからだと思います。