映画の誕生を見届ける職人集団 " 東京現像所 / Togen "01:代表取締役 矢部勝 社長インタビュー
東京現像所は、フィルム時代から今日に至るまで、映像業界の発展に寄与してきた幅広い映像作品の総合ポストプロダクション。劇場用映画・TVアニメからネット配信コンテンツなど、撮影データから初号完成に向けたDIを始めとする、長年の経験値を織り交ぜたポスプロ作業やヒューマン・ソリューションを提供。新作のポスプロの他にも、名作映画・ドラマなどの貴重なフィルムやテープ素材をデジタルデータに置き換え、必要に応じて高品質のデジタルリマスタリングを行う「映像修復 (アーカイブ) 事業」にも力を注いでいる。(東京現像所沿革)
2023年11月末 (予定) に、惜しまれつつも全事業を終了する。
カラー映画の需要が高まりつつあった1955年、既存の東洋現像所(現IMAGICA)に競合する大規模な現像所として設立され、それから68年にわたって、映画・アニメ・TVを中心として映像の総合ポストプロダクションとして数々の名作を送り出してきた。
間もなく、その役割を終えようとする東京現像所で最後の代表取締役社長を務める矢部勝さんに、お話を伺い、フィルムからデジタルへと大きな転換期を迎えるなかで大きな決断を下した理由、人と人のつながりなど、東京現像所が果たしてきた役割と、これからを語っていただきました。
映画黄金時代の空気が今も残る場所
――矢部さんは、東宝の宣伝部に長く在籍されていて、その後は東宝アド(現TOHOマーケティング)さんで専務をされていました。そして、2015年からは東京現像所(以下、東現)の代表取締役社長に。東現の社長という話が出たときは、どう思われましたか?
最初は戸惑いましたね。ポスプロなので、今までの自分には全くないノウハウじゃないですか。
――社長になられて、どんなことをされてきたんですか?
例えば、原価管理システムの導入とかですかね。利益率を作品ごとに出すみたいな作業をしたり。私も宣伝畑だったから、そんなことやったことないんだけども、そういうことを始めたりもしました。あと、深夜残業の多い社員のためのシャワールームを作ったりしました(笑)。
――久しぶりに東現へ伺って驚いたんですけど、建物の雰囲気も昔のままですね。
私も昔から初号試写なんかで来ることは何度もあったんですけど、自分がここの一員になってみると、会社の雰囲気が昔のまんまなんですよ、本当に。現像の現場もそうですし。時間が止まっているように思えるところがありましたね。
――映画黄金時代の空気が、ここに来ると感じることができますね。そもそも、東京現像所って、どういう経緯で出来たんでしょうか?
カラーの作品が増え始めた頃で、東洋現像所一社だけでは心もとなくなったことから出来たようですね。一社だけでやっていたのではリスクも大きい。それで大映と大沢商会と東宝が中心になって、邦画各社や東和さんに声をかけたんです。現像所をもう一社作ろうよって。それで了解をもらって作ったのが東京現像所です。
山田洋次監督と東京現像所
――現像所をもう一社作ろうというぐらい、たくさんの映画が毎週封切られていた時代だったわけですが、今では映画はフィルムからデジタルで作ることが主流になりました。矢部さんが東現に社長で来られた頃には、もうフィルムの現像は減り始めていたんですか?
私は2015年に東現へ来たのですが、その4年前の2011年に、フィルムの需要がものすごくどんと落ちたと聞いています。だから、私が来た頃は、デジタルシネマが当たり前になっていて、フィルムが年を追うごとに減っていった時期です。
――それでも、まだフィルムで映画を撮る監督がいたんですね。
山田洋次監督がその筆頭ですが、小泉堯史監督もそうですし、北野武監督もフィルムで撮られていたので、武さんの作品はうちで結構やらせてもらっていました。それから木村大作さんにも活を入れていただきながら(笑)、やらせてもらいました。こうした皆さんがフィルムで撮っていたので、うちでタイミングもやらせていただいて。
――「タイミング」というのは、フィルムの現像時に明るさや色の補正を行う作業ですね。デジタルになってからは、カラーグレーディングという言い方をしますが、これはすごく繊細な作業なので、監督から技術者が指名されることもあるようですね。
山田監督の作品は、『男はつらいよ』をはじめ、ずっとやらせていただいているんですが、寅さんシリーズの全作を4Kリマスターしたときは、東現とIMAGICAの共同作業でした。そのときも東現のOBのタイミングマンが呼ばれて、アドバイスしながらグレーディングしたんです。
――じゃあ、山田監督の新作『こんにちは、母さん』も同様に?
『こんにちは、母さん』は、もうフィルムではなくデジタルで撮影されているんですが、仕上げは松竹映像センターさんと東現で分業して、カラーグレーディング作業に関しては、東現のカラリストを指名していただきました。
――それは、東現の腕を信頼しているということなんでしょうね。
やっぱり、信頼関係で結ばれて、ずっと一緒に作業を続けてきたからだと思います。そういう意味で、東現のメンバーは本当に真面目ですね。これはもう頭が下がるぐらいみんな真面目にやってくれて。だからこそ、お客様から評価をいただけているんだと思うんですよ。
手前味噌ですが、東現のタイミングの仕事は、技術的にも非常に高い評価をいただいていて、フィルム時代から「作品のルックの基準を提示できるラボ」として撮影カメラマンから絶大な信頼を寄せられてきた歴史があるようです。
全事業終了という決断
――東京現像所の事業停止はいつ頃から話が出たんですか。
その可能性のレベルで言うなら、この2年ぐらいです。東現はフィルムの頃ならプリント、デジタルになってからはDCPの量産で成り立っていたわけですから、それがいずれ配信によって全国の劇場に届けられるようになると、東現は利益が大きく落ち込む。どうやって回収するのかっていうのは、私がここに来たときから課題としてありました。
――フィルム現像がなくなったのに続いて、DCPもこれまではHDDなどを使っているのが、やがてインターネットを通じてDCP配信されるようになるだろうと言われていましたね。
だから、私が来た次の年ぐらいから、中期経営計画みたいのを作って、それをみんなと共有しながらやってきたんですね。でも結局、DCPの収益に代わるものを見つけられなかった。そうこうしているうちに、東宝をはじめ業界全体がもう配信へ移行する待ったなしの状況になったということなんですね。
――昨年末にIMAGICAエンタテインメントメディアサービスさんと東宝さんが、デジタルシネマパッケージの劇場向けデリバリーサービスを行う新会社として、「株式会社シネマコネクト」を設立しました。
それが、DCP配信を行う会社です。もちろん、水面下で動いているのは聞いていましたけども、ようやく発表される状況になったので、それを受けて、東現としてどうするかを考えた結果、全事業を終了するという発表を従業員にして、世間にも発表させていただいたわけです。
――大きな決断でしたね。
ずいぶん悩みましたけど、潮時が来ちゃったのかなと。今のままで先延ばしにすると、状況が悪くなるんですよね。だから、社長としては判断しなきゃいけない。涙をのんでって言うと、ちょっと大げさですけれども、このタイミングで決めなきゃいけないなと思いました。
――技術者の方たちはどうされるんですか?
4月からシネマコネクトさんで5名が働いています。あと字幕の担当者の内、1名がIMAGICAエンタテインメントメディアサービスさんで、もう1名がニュージャパンフィルムさんで既に働いています。それから、東現が事業終了した後も、DI事業、映像編集事業、アーカイブ事業は、東宝グループに承継されるので、それに携わっているメンバーは、お蔭様で大半が東宝スタジオの方に行く予定です。
――すでに、事業終了後の再就職先も決まりつつあるわけですね。技術を持った方々が今後もそれを活かせる形になりそうですね。
そうですね。そういう意味では三つの可能性のある事業が残せたっていうのは、すごく良かったと思います。これでおしまいっていうんじゃなくてね。やっぱりまだ伸びしろがある仕事なので、そこは東宝ともずいぶんいろんな話をする中で、全事業終了で終わりっていうんじゃなくて、きちんと残せるもの、大事なものは承継しましょうということで、そういう形に。
――東京現像所の最後の社長として過ごされた8年間を振り返ると、どんな思いがありますか?
東宝という会社に入って、映画に近いところでずっと仕事ができるっていうのは、実は幸せなことなんですよね。
――東宝さんはいろんなグループ会社がありますから、映画以外の仕事を任されることだって普通にあるわけですからね。
そうなんです。東京現像所では、ポスプロとして映画制作の最終工程となる作業が行われるわけですから、世の中に映画が誕生するのを見届けるような場所なんです。そうやって映画に関わる仕事に、まるまる8年もいられたというのは幸せなことだなと思っています。
構成・文 / 吉田伊知郎
(聞き手 / 池ノ辺直子)
撮影 /吉田周平
映画の誕生を見届ける職人集団 “東京現像所 / Togen”
02:アナログからデジタルへ ー黒澤映画編 (前編) 4Kデジタリマスター作品解説
TOKYO LABORATORY
entrance
株式会社東京現像所 (TOKYO LABORATORY LTD.)
所在地:本社 東京都調布市富士見町2-13
1955年、東宝・大映・大沢商会など、映画関係各社の出資により設立。2023年11月30日に全事業を終了。