映画監督の仕事は、最初の観客であること
――これまでは監督だけでなく、脚本も自ら書かれることが多かったと思いますが、『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』と今回の作品では、脚本家によって書かれた脚本が使用されています。映画を撮る上でのアプローチに違いはありましたか?
最初は好奇心もあったんです。他の人が書いた脚本を自分が演出するとどうなるか? やってみたら、すごく気に入りました。何か間違ったとしても他人のせいにできる(笑)。それは冗談ですが、監督だけをやるポジションだからこそ楽しめるところがあります。
――それはどこですか?
私は監督の仕事というのは、まず観客であることだと考えています。初めて演技を見るときに、それを初めて触れるもののように受け取らなければいけない。2年とか5年を費やして自分で脚本を書いた後だったとしても、一旦忘れてやらなければいけないわけです。その意味では、自分が脚本を書いていない方が、もちろん楽なわけですよね。舞台でも映画でも、役者さんの前に立ったときに、それを初めて目にすることができるわけですから。
――監督の役割の話がとても興味深いのですが、本作の冒頭でナレーションが「芸術において最も近くかつ最も遠い距離は―― “よい”と“すばらしい”の間」と語ります。まさに監督とはその位置を常に見極め続ける仕事では?
そうなんです。その位置というのは奇妙なものでもあるわけで、例えば脚本を書いているときは、書いている内容の核心と親密につながっていなければいけないのですが、そうすると距離が保ちにくくなる。それをしっかりと客観的に見るだけの距離を取りにくくなって、物書きとしてはバランスを失ったりすることもあります。すごく成功している作品を観ると、その両方がきちんと成立しています。