Nov 16, 2016 interview

壮絶な“殺し合い”のために完璧な役作りで臨んだ二人。映画『聖の青春』松山ケンイチ&東出昌大 ロングインタビュー

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“殺し合い”をするつもりで臨んだ現場

──演じていて苦労したり悩んだ点は?

松山 一番悩んだ点は、村山さんの病に対しての向き合い方と、いよいよ死が迫ってきたという心境を、言葉ではなく、佇まいや表情でどのように表現するのかということですね。そのためにガン告知以前と告知後という分け方をして撮影したんですが、やっぱり自分にはない要素なので難しかったです。

──なるほど。聖が上京してからの生活は、毎日飲み歩いていつも笑顔だったという、まさに「青春」と呼ぶのが相応しい、楽しい面が垣間見られたのが、逆にリアルで良かったです。

松山 こういう大病になってしまうと病に負けてしまう気がするんです。摂生したりして自分の生き方すら変えてしまう人が多いと思うんですけど、村山さんはそうじゃなかった。それは何でなんだろうとずっと考えていました。脚本に「神さま」という言葉がちょこちょこ出て来るんですが、もしかしたらその病が、神さまのようなものだったのかもしれないなと思いました。だから病があることで救われたり、支えられる部分もある半面、打ちのめされる部分もあって。病を自分ではコントロールできない、神聖なものとして扱っているからこそ、普通の人とは違う生き方が出来たんじゃないかと思いました。

──師匠の森信雄さん(劇中ではリリー・フランキー演)ともお話をされたんですよね。

松山 そうですね。僕が一番、役作りでやりやすいこととは、実際の映像を見ることと、生前にお付き合いされていた方にお話を聞くことですけど、僕が疑問に思っていることをいろいろ聞けて良かったです。染谷(将太)くんと殴り合いをするシーンがありますけど、森さんは、村山くんはあんなことはしないと思うなあなんておっしゃっていましたね。

東出 あはは(笑)。そういうの面白いですよね。人によって見せる顔が違っていたところもあったでしょうし。

松山 うん、そうだね。静と動の部分ももちろんあっただろうし。

――現場でお互いを見ていてどう思われましたか?

松山 東出くんに羽生さんを演じていただいて、助かったと思います。将棋や羽生さんに対する強い愛情や尊敬を持って現場に来ていただいたので、自分もすごく影響されましたし、それがオーラとして出ていました。だから僕も村山さんが羽生さんに抱いていたような憧れや尊敬、ライバル心が自然に湧き上がってきました。

東出 僕は監督に、事前に「松山さんと話をするな」と言われていたんです。僕が現場に入る2週間前からクランクインしていて、すでにもう“村山組”になっているから、そこに最強の異物として来いと言われて。やっぱり現場に入ったら、村山聖という人がそうであったように、松山さんはみんなに愛されて、みんなの中心にいて。だから僕はあの頃の羽生さんと同じように、“殺し合い”をするつもりで現場にいました。

 

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──では現場では異物としていたと。

東出 そうですね。スタッフ・キャストとも、全人生を懸けて映画を作っているという緊張感があって。「人生を撮る映画だぞ」という意気込みや気概をひしひしと感じていました。だから幸せな現場でした。

──幸せでありながら、いい意味での過酷ということもありましたか?

松山 今、振り返ってみたら過酷だったと思うんですけど、僕も将棋と村山さんが好きだし、他のキャスト・スタッフの方々もみんなこの映画が好きだから過酷だと思ってなかった。限界を超えちゃっていたんですよね。好きという感情はすごいなと改めて思いました。

東出 激しく同意見です(笑)。

──聖の人物描写や部屋も含めて、原作の情景がそのまま映像化されていたと思いました。

松山 美術も素晴らしいですよね。桂の間(東京将棋会館にある事実上の控え室)の内部はセットなんですが、それを再現していることに羽生さんはとても驚かれていました。美術の方たちが作り出す説得力も素晴らしかったです。

──村山さんと羽生さんがふたりで食堂に行って話をするシーンがすごく良かったです。

東出 松山さんも僕も、それぞれ別の時期にあの食堂にお邪魔していたんですよ。

松山 僕もすごく好きなシーンなんですけど、もうラブストーリーですよね、あれは(笑)。この一風変わったふたりのラブストーリーをぜひ観ていただきたい。羽生さんはヒロインですから。ここにも純愛があるっていう。

東出 そうですね(笑)。

松山 東出くんが羽生さんを演じてくれたからこそ純愛も際立っていたと思います。

──対局シーンも印象的でした。

松山 棋譜台本を基に、それぞれ1時間ずつの持ち時間で、2時間ちょっと、実際に長回しで撮ったんです。手数は多くなかったので1時間も必要なかったんですが、僕は実際に1時間全て使いたかった。その限られた時間をフルに使うことによって生まれてくるものがあると信じていたので。撮影中は盤面しか見てないから、東出くんがどういう顔をしているかもわからないけど、駒を指す手だけで、今、相手がどんなことを思っているかということを想像する。この一手にこれだけの時間をかけて指すということがどういうことなのかを具体的には考えてはいなかったんですけど、でも一手一手が会話のキャッチボールになっていたというか。最初から通してやらせてもらって良かったのは、最後に「負けました」と言うセリフが難しかったこと。自分が積み重ねてきたもの、全人生を懸けてきたものの終着点が「負けました」なので、この言葉を言う時は、演技じゃなくて、リアルな感情から出てきたものでした。

──そんなふうに時間をかけて撮影するって、ある意味、贅沢ですよね。

松山 森監督ってすごいなと改めて思いました。

東出 そうですね。「棋は対話なり」という言葉があるんですが、松山さんの言う通り、顔を見なくても、言葉を交わさなくても、棋譜の中にお互いに思っていることがある。あの対局の実際の時は、村山さんが用意してきた作戦があって、それに羽生さんも乗っかって、お互い、手が止まらなくなってしまっていたんですよ。その時の解説が羽生さんの師匠の二上達也さんだったんですけど、「あー、もうこれ、ふたりとも、手が止まらなくなっちゃってるね」とおっしゃっていたんです。お互い絶対譲らないものがあの時の棋譜にはあって、それがふたりの輝きだったと思います。そういうシーンを長回しで撮ると聞いた時に、そんな試みに挑戦できることが役者として嬉しかったです。役者人生においてなかなか経験できないかけがえのない3時間でした。