吉田修一原作の短編小説集『犯罪小説集』(KADOKAWA)が、綾野剛、杉咲花、佐藤浩市、村上虹郎ら多彩なキャストにより、『楽園』というタイトルの映画となった。本作の企画を進めたのは、二部構成の犯罪サスペンス『64 -ロクヨン-』(16年)をヒットさせた瀬々敬久監督。これまでにも上映時間4時間38分の超大作『ヘヴンズ ストーリー』(10年)や生田斗真、瑛太らが熱演した『友罪』(18年)など、実在の事件からインスパイアされた問題作を、瀬々監督は次々と放ってきた。なぜ瀬々監督は凶悪犯罪を題材にした映画を撮り続けるのか、そして実際に起きた事件をモチーフにした『犯罪小説集』の映画化作品に『楽園』という逆説的なタイトルを付けたのはなぜか。その真意を尋ねた。
日本のどこで起きてもおかしくない事件
――5つのエピソードで成り立つ短編小説集を1本の映画にするのは、容易ではなかったと思います。
難しかったです。でも、自分から「やりたい」と言い出した企画でしたから。書店で吉田さんが書いた原作を見つけ、出版社がKADOKAWAだったので「映画化しないんですか?」とKADOKAWAに確かめたんです。映画化は簡単ではないけれど、いまの日本の社会状況を映し出した映画にできるんじゃないかという思いがありました。
――『犯罪小説集』の中から、地方都市で起きた少女失踪事件を取り上げた『青田Y字路』と限界集落で連続放火殺人事件が起きる経緯が描かれる『万屋善次郎』の2本を繋ぐ形で映画化。実際には離れた地域で起きた2つの事件ですが、『楽園』では近隣の集落で起きた事件として描いています。
『青田Y字路』と『万屋善次郎』で描かれた事件は、日本全国どこでも起きうるものです。『青田Y字路』は外国人差別が根底にある。閉鎖的な集落で事件が起き、犯人が見つからないため、そこで暮らしている外国人が疑われてしまうわけです。僕の生まれ故郷は大分ですが、労働力不足を補うために、研修という名目で中国人たちが100人単位で農村で働いていたりしてました。外国人労働者をめぐる問題は各地で起きている。また、限界集落は僕の実家も含め、やはり日本各地で直面している問題。いまの日本の社会状況をとても強く感じさせるものであり、閉塞的なコミュニティで起きている問題として共通点があることから、2つの事件を組み合わせてひとつの映画にしています。
――企画の初期段階では『犯罪小説集』の2つ目のエピソード、保険金殺人事件を題材にした『曼珠姫午睡』も加える予定だったと聞いています。
地方都市で起きた『青田Y字路』と『万屋善次郎』を最初と最後に置き、首都圏で起きた『曼珠姫午睡』を真ん中に挟むことを最初は考えていました。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した『ビフォア・ザ・レイン』(94年)のような映画をイメージしていたんです。『ビフォア・ザ・レイン』は最初はマケドニアが舞台で、次にロンドン、そして最後は再びマケドニアという三部構成の映画でした。『楽園』も最初と最後は地方都市で起きた事件、真ん中に都会型の事件を配置することで、いまの日本の状況をリアルに浮き上がらせることができると考えたんです。それで初稿を書いてみたんですが、吉田さんから『曼珠姫午睡』は外したほうがいいんじゃないですかと提案されて、今回の構成になりました。シンプルにまとまったかなと思います。
――瀬々監督としては、女性が犯人の『曼珠姫午睡』を入れることで事件の裏に“性”の匂いのする映画にしたかった?
そうだったかもしれません(笑)。地方と都会を対照的に描きたいという気持ちもあったので、『青田Y字路』で被害者少女と幼なじみだった紡(杉咲花)が東京に上京する、原作にはないエピソードを盛り込んでいます。吉田さんは映画化するうえでオリジナルエピソードを加えることに理解があり、助かりました。原作を変えてほしくないと言われると、映画化は難しいですから。
――吉田修一原作の犯罪小説は、李相日監督によって『悪人』(10年)と『怒り』(16年)、大森立嗣監督によって『さよなら渓谷』(13年)が映画化され、どれも高い評価を受けています。
もちろん、吉田さんの映画化された作品はどれも観ていますし、WOWOWで放映された『平成猿蟹合戦図』(14年)も観ました。映画化される以前から、吉田さんの小説は好きでよく読んでいたんです。『さよなら渓谷』は僕も映画化したかった。映画監督たちの多くは、吉田さんの小説を映画化するチャンスを狙っているんじゃないですか(笑)。