Mar 24, 2017 interview

『精霊の守り人Ⅱ』の異世界音はほぼ一人の人物が担当していた!爆笑問題の太田も注目する 声の主・山崎阿弥インタビュー

A A
SHARE

asura2

 

──回を増すとややテンポアップしましたが、調子もかなりゆったりしていますよね。

加藤さんは「詩情を大事にしましょう」とおっしゃっていました。ナレーションの中には、魔物とか食い殺すとか、怖い言葉がたくさん出てくるけれど、「まるでお母さんが子供に絵本を読んであげるような感じで、風に乗ってきたお伽話のように、耳から離れない秘密のように」と伝えてくださったのを記憶しています。これは私の勝手な解釈ですが、加藤さんの言葉から“母性”の多様性を感じました。シーズンⅡには、真木よう子さん演じるシハナや渡辺えりさん演じるマーサなど、いろいろな女性が活躍していますよね。そんな女性たちの多様性と共通点の両方をすくいとって示すことが加藤さんの演出への返答になるのではないかと考えました。バルサ(綾瀬はるか)もチャグムやアスラの用心棒という役割を通じて、“お母さん”を真似てみようとするんだけど…二ノ妃やマーサを見つめるバルサ・綾瀬さんの表情には自分の中に欠けた何かを見つけてしまった悲しみが浮かんでいるようで、切なくなります。そんなことをすべて内包した上で「この世界はね……」と、その始まりをのびやかに語りかけよう、と演出してもらったように思っています。

※ライター補足
ナレーションは最初台本にはなくあとから追加された。一話のみ大森寿美男が書き、あとは各話の演出家が書いている。ナレーションとは本来ストーリーをわかりやすくするガイドのようなものだが、『精霊の守り人Ⅱ』の場合は、理屈でガイドするのではなく、統合される前の未分化な異世界を体感させる効果を担うかのようである。

──お話をうかがって、声や音ひとつとっても非常に奥深いものだと痛感しました。

映画やドラマの半分は音だと言います。実際そうなのですが、あえて言葉にしてみないと、みんな気付きにくいことだと思うんですよね。

──ほとんどのSE みたいなものを山崎さんがやっているのですか。

ホーミーは別の方がやっていますし、音響さんたちが独自に作られた音や録音とのコンビネーションでできています。前回までのお話のダイジェストと世界地図が出てくるときにナレーションの背景で鳴っている音はほぼ私だと思います。「ぱぱぱぱぱぱ」と唇を合わせて出す泡がはじけるような声や「はうわうわうわう」と息を吸いながら出す呼吸と声の間みたいなもの音とか、目に見えないところで蠢いているたくさんのものたちを声で表現しています。わかりやすいのは、目に見える人間の世界(「サグ」)に対して「ナユグ」や「ノユーク」と呼ばれる目には見えない精霊の世界を表現する音として声が使われているシーンです。例えば船の上でチャグムが空を見上げたときに、たくさんの精霊たちが集まって輝きながら流れていくんですけど、そこでは「グルグルグルグル」と声帯を鳴らした声を付けてもらっています。ほとんど誰も私の声って気がつきませんが(笑)。
逆に、最初にお話したアスラの怒りとともに発動するタルハマヤ神に関しては、人間味が出過ぎてるけど、これでいいのかな? と私は思ったのですが、それがいいと言ってもらったんですね。アスラはサーダ・タルハマヤ=「神とひとつになりし者」なので、神と人が一つの身体のなかでせめぎ合っているのを何とか声で表現できたかなと思っています。

──特殊な声を出すために何か特別なことをしているのでしょうか。

身体の様々な部位の機能や動きから声を作り出しますが、たまたま出ちゃう声もあって。例えば、風邪を引いて喉の調子が悪いときに、声帯がいくつかに割れている感覚があって、一度に4声ぐらい?出ることがあります。以前、東京都現代美術館で行われた『山口小夜子 未来を着る人』(2015年)展の、生西康典さんと掛川康典さんの作品のために録音したとき、ちょうど調子が悪くて普段絶対出ない声が出てました。録音のエンジニアさんから「どうやって整数倍音と奇数倍音を分けたり混ぜたりして発声しているの?」と驚かれました。「分かりません」と答えるしかないんですけど。でも、普段から発声は私にとって空間とのコミュニケーションだと思っているので、コントロールして理想の声を出すというより、空間の性質やキャラクターを借りつつ、その場所と一緒に歌っています。調子が悪くなくても、壁面の反射で4声以上で聞かせることはできますね。

※ライター補足
取材中、山崎さんは実際に身体を使って声(音)を出してくれた。印象的だったのが、胸鎖乳突筋を使って「ぐおーっ」と太い音を出す方法(アスラの怒りの声に使用されている)。彼女のそれは左右長さが非対称で、それによって身体にねじれが生まれて特殊な音が生まれるそうなのだ。非対称であることを欠点と捉えず、自身の身体の特性を最大限に生かしていくという営みによって誰もできない圧倒的な表現を生み出していることに感動を覚えた。