現地クルーと組んだ撮影が映し出す、その国のリアル
池ノ辺 映画は、何年もかけて準備するわけですから、その間ずっとモチベーションを持ち続けたり、周りからいろんなことを言う人がいたりするとそれをまとめなければいけない。そういう大変さもあったと思います。そんな中で阿部寛さんの存在はすごく心強かったんじゃないですか。
米倉 それは本当にそうです。しかも阿部さんも楽しんでくれていたと思います。僕の「こうしてもいいですかね」という提案も全て聞いてくださって、そうしたことで、僕も自由でいられたし、何か圧力があってそれに屈するというのではなく、強くいられたんだと思っています。初めての長編商業映画だったら何も思うようにはできなかったんじゃない?と言われたりしたんですが、そんなことはなくて結構やりたいことをできたと思います。



池ノ辺 海外でも撮影されていましたが、撮影中のエピソードは何かありますか。
米倉 台湾とかイランでの撮影は、日本での撮影の後に行ったんですが、国が変わるたびに撮影体制が一度ゼロになるんです。いわゆる合作の映画って、日本の撮影クルーがそのまま外国に行って撮るというのが多いようですが、この作品はそうじゃない。特に台湾の撮影では、日本からは僕を含め撮影クルー2、3人が台湾に行って、そこで現地のクルーと関係を構築して、ロケーションもキャスティングも現地で行いました。その都度その都度、絵コンテを描いて、その国の言葉に翻訳して、エクセルの資料を作ってと、本当に1本の映画というより3本くらいを撮ったような感覚でした(笑)。

池ノ辺 そういう経験はあまりできないでしょうね。
米倉 一番気を使ったのが、イランの撮影でした。僕らが行く予定の日の1週間前にイランへの渡航が禁止になってしまったんです。じゃあオンラインで撮ろうということになったんですが、とにかくイランの国内は電波が繋がらないんです。でも、撮影は現地のプロデューサーとカメラマンに任せなきゃいけない。撮ってもらって、それを見せてもらうと、こちらが頼んだものと全然違う。それで再度撮影をお願いする。もうイランに関しては絵コンテをアニメーションになるくらい描きました。それすらも無視されましたけど(笑)。でも仕方がないんですよ。イランで撮影するというのはとにかく大変なことで、「申し訳ないけれどこれしか撮れなかった」、と言ってくるんです。こちらも、「わかった、でも明日もう一回トライしてみてくれ」とそれしか言えない状況でした。国によってクルーの文化も価値観も違う、ポッシブルとインポッシブルの線引きも違う。こうしたことも含めて、この映画らしさなのかなと思います。
池ノ辺 国によって考え方も違いますもんね。でも今の、大変な状況のリアルなイランが映っているのはすごいことですね。







