歌舞伎女形の世界に惹かれて15年
池ノ辺 今回の作品は、吉田修一さんの同名の原作本があるのですが、その原作とは別に、15年くらい前から、歌舞伎の女形を中心に撮りたいという思いが監督にはあったそうですね。なぜそう思ったんですか。
李 年齢的なこともあると思うんですよ。あの頃、30代半ばでした。10代、20代の頃は、なかなか伝統芸能に目が行くことはなかったんですけれど、映画の世界に足を踏み入れて、ようやく自分でひとつふたつ形になってきて、この先に何があるのかと考える中で、遅ればせながらですが、伝統とか昔から培われてきたものに目が行くようになったんです。そうしたタイミングで日本の伝統芸能を見渡してみた時に、やはり圧倒的に歌舞伎が目に飛び込んできた。しかも僕は、歌舞伎の中でもどういうわけか女形に興味を持ったんです。歌舞伎を鑑賞するときは立役(たちやく:男性役)に目が行きがちですけど、映画にするとなった時に光を当てたいのは女形だったんです。なぜ女形というものが成り立ち、存在してきたのか。どういった経緯であの異形感が生まれているのか。映画として考えた時に気になった素材でした。

池ノ辺 そこから15年の間、調べ続けてたんですか。
李 15年間ずっとじゃないです。最初の1、2年でいろいろリサーチして大枠のストーリーを組み立ててみたんですけど、そうするといかにハードルが高いかがわかってしまったんですよ。しかも当時僕が考えていたのは、戦前戦中戦後を通しての役者の一代記だったので、かなり莫大なお金がかかる上に、歌舞伎役者の物語を成り立たせるためのさまざまな外部の協力も必要でした。とにかく普通の映画に比べてもいくつものハードルがあって、あの時は「できない」となって一旦寝かせることにしたんです。

池ノ辺 そして、そこから復活したと。
李 『悪人』(2010)の後、原作・脚本の吉田修一さんと定期的に何度かお会いしている中で、歌舞伎映画の顛末をお話をすることがありました。
池ノ辺 それで吉田さんが書いてみようかなとなったんでしょうか。
李 そのあたりは謎です(笑)。ただ、面白がってくれてはいました。でもそこからじゃあすぐに書くか、ということではなくて、さらに数年を経てから、リサーチを始めようと思うと言われたので、僕はそれを楽しみにしていました。結果的には、女形と一代記という点以外は全く別のもので、吉田さんが見てきた世界をベースにしたオリジナルのキャラクターで、物語として非常に素晴らしいものでした。
池ノ辺 それが吉田さんの小説「国宝」ですね。小説が出た後なら、映画会社さんも、それならやってみようか、となったんじゃないですか。
李 それでも簡単ではなかったです。お金も時間もかかる上、歌舞伎界がどういう反応をするかということも重要でした。結局僕が最初に企画を考え始めた時と変わらないくらいのハードルがありました(笑)。でも、今回は吉田さんの原作がある。しかも綿密な取材に基づいた壮大な叙事詩ですから。そして原作を読んだ時に、これは吉沢くんしかない。彼がやらないなら、この映画は成立しないと思いました。




