Jan 23, 2025 interview

小泉堯史 監督が語る 『雪の花 ―ともに在りて―』 ー師匠・黒澤明監督の思い出

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江戸時代末期。死に至る病として恐れられていた疱瘡(天然痘)が猛威を振るい、多くの人命を奪っていた。福井藩の町医者で漢方医の笠原良策は、患者を救いたくとも何もすることができない自分に無力感を抱いていた。落ち込む良策を、妻の千穂は明るく励まし続ける。教えを請うため京都の蘭方医、日野鼎哉のもとを訪れたことから、良策はこの病の異国の予防法を知る。わずかな可能性を求めて奔走する良策の志は、やがて藩や幕府をも巻き込んでいくーー。

狂人と蔑まれ、さまざまな妨害に合いながらも、人々を救うために流行病と闘い続けた実在の町医者、笠原良策の姿を、吉村昭の小説「雪の花」を原作として映画化。名匠小泉堯史監督のもと、笠原良策役に松坂桃李、その妻・千穂に芳根京子、さらに蘭方医、日野鼎哉に役所広司など、多くの実力派の俳優が脇を固める。

予告編制作会社バカ・ザ・バッカ代表の池ノ辺直子が映画大好きな業界の人たちと語り合う『映画は愛よ!』、今回は、『雪の花 ―ともに在りて―』の小泉堯史監督に、師・黒澤明監督の思い出、本作への思いなどを伺いました。

黒澤映画に魅せられてこの世界に

池ノ辺 監督は水戸のご出身なんですね。水戸映画祭が2025年で40回目を迎えるそうですけど、監督はご存知でしたか?

小泉 それは知らなかったですね。

池ノ辺 水戸といえば、深作(欣二)さんも水戸のご出身ですが、深作さんと小泉監督は同じ水戸第一高校出身ですよね。

小泉 サク(深作)さんは、先輩です。最初に会ったのは自分が映画を始めようと思った時で、先輩だからと挨拶に行きました。

池ノ辺 それは小泉監督が、黒澤明監督のもとに入られた頃ですね。いつ黒澤さんのところへ?

小泉 1970年です。『どですかでん』が出来上がった時です。実は、黒澤さんのところに入りたいという話をしていたのは『どですかでん』の撮影が始まる前で、松江陽一さんというプロデューサーから、そのスタッフに入れるかもしれないと聞いていたんです。でも組合の許可が降りなくてダメでした。それが、出来上がった後に宣伝で人が必要になったから黒澤プロダクションに来るようにと言われたんです。

池ノ辺 じゃあ監督は宣伝から入ったんですか。

小泉 宣伝って言ったって、何かを宣伝してるわけじゃない。要するに、当時は、フィルムでしたから、それを5コマずつ切ってパンフレットに貼り付けて、それを初日のお客さんに配っていた。そのフイルムをカットする人が必要で、それがこの世界での自分の最初の仕事でした。

池ノ辺 なるほど、いわゆるそれが宣伝だったんですね。お客さんは嬉しいですよね。今はフィルムじゃないからできないですけど。

小泉 お客さんは喜びましたよ。「奈良岡(朋子)さんのが欲しい」という人がいたりしてね(笑)。

池ノ辺 宣伝を経て、助監督になったのはいつですか?

小泉 『影武者』(1980)からです。というのも『どですかでん』のあと、黒澤さんは『デルス・ウザーラ』(1975)の撮影などで海外に行ったりしていなかったんです。当時、(黒澤明、木下恵介,市川崑,小林正樹が結成した)四騎の会のいい事務所があったんですけど、行っても誰もいない。何もすることがないから毎日トランプをしてました。これじゃあ仕事が覚えられないからと他の監督のところに勉強に行って。その時ですよ、サクさんに会いに行ったのは。だから『軍旗はためく下に』(1972)も手伝いました。現場の仕事を覚えたくてね。でも同じ水戸の出身ですけど、ダメなんです。合わない(笑)。

池ノ辺 なぜですか。

小泉 サクさんは会った時に、「映画はクソみたいなもんだ」と言うわけです。だから「美味しいものをいっぱい食べていいクソをしろ」と(笑)。僕が「冗談じゃない。こっちはあんたのクソなんか見たくもない」と返したら、「じゃあお前はなんだ」と言うので「俺は黒澤さんのような美しい映画が好きなんだ」と言いました。

池ノ辺 そしたら深作さんはなんて?

小泉 「あ、そう」と。でもその後、『敦煌』(1988)の撮影の時に馬が必要になって、「小泉、ちょっと調べに行ってくれないか」とサクさんに言われて、馬を探しに行きましたよ、中国の奥の方まで。

池ノ辺 馬はいたんですか。

小泉 いや、騎馬隊があると思ってチベットの奥の方に行ったら鞍ばっかり並んでいて、聞いたらもう騎馬隊はない、馬は郵便配達している、と言われました。それで「ここはダメですよ、馬なんかいない。モンゴルとかその辺を探さないと」と伝えました。そしたらサクさんは「もうやめよう」と。

池ノ辺 やめるって撮影を?この映画を?

小泉 本人が監督を辞めると。それで、佐藤純彌さんに変わったんです。

池ノ辺 なるほど、やりたくなくなっちゃったんですね(笑)。

小泉 それでも準備の間にずいぶんお金を使っちゃって、後が大変だったという話でしたよ。