Jul 19, 2024 interview

ACクリエイト創業者 菊地浩司が語る 「映画は人生を豊かにする」映画字幕翻訳の過去と未来

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字幕翻訳の始まり

池ノ辺 最初の頃はずいぶんいろんな仕事をされていたそうですね。菊地さんは人を惹きつけるのが天才的で、飲み屋とかいろんなところで人脈を広げて周りを巻き込んで、いつの間にか仕事をとってくると聞きました(笑)。

菊地 というか、字幕制作会社のテトラに出入りするようになって、いろいろ紹介してもらいました。そこから繋がっていった仕事がずいぶんあります。

ビデオソフトが出てきたことから、それを海外から買い付けて字幕を入れる仕事、劇場で公開されたもので、右端に縦に入っている字幕をビデオ用に下に横書きに入れ直すという仕事もありました。当時、フィルムとしては「1フィート(約30cm)に3文字」と言われてたんですが、ビデオテープだと長さではわからないので、試行錯誤して「1秒で4文字」としました。

池ノ辺 同じく字幕制作の日本シネアーツにも出入りされてたんですよね。

菊地 そうです。そこでジョイパックフィルムというピンク映画を配給するところを紹介されたんです。「やってみる?」と言われて「それは嬉しいなあ」と思って引き受けました(笑)。ただね、ピンク映画は制約が厳しいんです。人を欲情させるような、あるいは扇情するような言葉は使っちゃいけないとか。それでどうやってポルノが成り立つんだ? と思ったけどね(笑)。

池ノ辺 そこから劇場用の字幕翻訳の仕事にはどうやってつながっていったんですか。

菊地 テトラやシネアーツに出入りするようになって、そこには大手洋画配給会社のCIC映画(後のUIP映画)やヘラルドの人たちも出入りしていて、そこから仕事を紹介してもらえるようになりました。

池ノ辺 CIC映画での最初の作品はなんですか。

菊地 『ピンク・パンサー5/クルーゾーは二度死ぬ』(1983)。これが劇場用の字幕翻訳の初めての作品です。

池ノ辺 ちなみに、この頃は劇場の字幕は縦書きが普通だったんですよね。

菊地 そう。縦で手書きの文字です。縦の時代は結構長かったんですよ。縦の場合は、1行10文字で改行する。ただ、縦書きの問題は、バックの画面の色によって、移動させなきゃならないところ。バックが明るいところだと、文字が見えないから、画面の中の暗いところに字幕を入れることになるんです。字幕の位置を、右端だったら右端と固定できない。うっかりしていると、「あれ? 字幕はどこ?」ってなる。その点、下に横書きで入れるのだと、位置は変えなくて済むわけです。横の場合、1行にだいたい13〜14文字なんだけれど、日本人の場合、文章は縦書きで読み慣れていることもあって、横書きの場合は、言葉の切れ目で改行しないと、意味をとりにくいということがあります。

池ノ辺 なぜ横書きに変わったんでしょう?

菊地 劇場の客席がよくなって、前の人の頭で下の字幕が見えないということがなくなったというのは大きいかなと思います。下なら字幕の位置をある程度固定できるし、だったら下の方がいいんじゃないかという話になったんです。原稿の作り方もちょっとそれで変わりました。

池ノ辺 日本は劇場ではまだ吹替より字幕が多いんじゃないかと思いますが、海外ではどうなんですか。

菊地 国によります。ヨーロッパなどは吹替が多い。一方、例えば公用語が複数ある場合は字幕が多い。それも公用語が2つだったら2つの字幕が表示されます。

池ノ辺 菊地さんが手がけたもので、印象に残っている作品はなんですか。

菊地 おもしろい作品がたくさんあった時代だったからね。あえて挙げるなら『スタンド・バイ・ミー』(1986)かな。というのは、僕は原作者のスティーヴン・キングと同じ年の生まれで、これは12歳の少年たちの話なんだけれど、僕が12歳の時代とすごく似ている。だから翻訳してても自分の子どもの頃とかぶるものがあって、すごくわかりやすかったですね。

あと、『ロボコップ』シリーズ のパッケージ化の時には、最初「freeze」を「止まれ」と訳していたんですが、後には「フリーズ」という字幕にしました。というのは、1992年10月、日本人留学生がアメリカで、射殺されるという事件が起きたのですが、そのとき、「freeze」(動くな)と言われたのがよくわからず、「please」と聞き間違えたのではないかという指摘があったんです。そういうことが2度とおこらないようにと思っての変更でした。