Jun 27, 2024 interview

三木孝浩 監督が語る  切なさと、勇気と、生きるということを描いた『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』 

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切なさと、勇気と、生きるということ

池ノ辺 監督は、Netflix作品は今回が初めてでしたよね。撮影はどうでしたか。

三木 すごくスムーズに撮れました。

池ノ辺 監督の中で、撮影にあたって「ここはこうしよう」と特に心がけたところはあったんでしょうか。

三木 とにかく二人の行動範囲がすごく狭くて、出会う場所はほぼ病院の中、病室という限られた空間です。でも限られた空間だからこそ、二人の感情の微細な動きを丁寧に追っかけられるような絵作りをしたいと思いました。そこは美術も含めて作り込んでいます。病室とか病院って、どうしても冷たいイメージがあるんですけど、そこが春奈のいる世界です。彼女自身の世界、彼女だけの世界で、観ている人がそこで彼女の内面に入っていくと感じられるように心がけました。

池ノ辺 (話の流れの通りの) 順撮りだったんですか。

三木 いや、全部が順撮りとはなりませんでした。ですから、役者さんは大変だったと思います。病状が重くなっている時と、まだそうでもない時と、1日の撮影の中でも順番が変わって交互にやったりしてましたから。

池ノ辺 それは大変ですね。

三木 ただ、病気の進行具合を考えて、10段階のうちどれくらいか、ここなら声の大きさはこのくらいとか、ここではもう喋ると苦しくなるくらいだから、言葉を分けて喋る感じにしようとか、そこは本人と話し合って作っていきました。

池ノ辺 撮影のときは、本人たちと話し合って進めていくことが多いんですか。

三木 まず、お芝居としてはなるべくその場のセッションにしようと最初に永瀬くんにも出口さんにも話していました。もちろん一方で「余命」という現実があるけれど、生きていれば、それを忘れて思わず笑う瞬間もあるし、恋心を感じる瞬間もある。それぞれが自分の中での完結したセリフを言い合うのではなく、相手の言葉や表情を見た時の咄嗟の反応を大事にしたい。そこはあえて作り込まず、現場で感じたことを出していこうと話し合いました。だから、観ている人にはキャラクターたちの一挙手一投足がすごくフレッシュに感じられて、二人にどんどん感情を移入していけるようにできたのかなと思っています。

池ノ辺 それは納得です。本人たちは初々しいんだけど、それが逆に、余計、心に刺さりました。その先を思って切なくなる。もちろん原作そのものの力もあると思いますが、映像化された時に、それ以上に強いものを感じて、さすが監督と思いました。撮影している中での「これは!」というエピソードはありますか。

三木 病室で、秋人が春奈の絵を描くというシーンがあります。春奈が「生きたい」と涙するシーンです。最初は、出口さんの横顔から撮っていって、割と早い段階で一度カットしようと思っていたんです。ところがその表情がすごくよくって、「もう役のスイッチが入った、これは止められない」とカットがかけられなかったということがありました。あの瞬間は本当に自分も周りのスタッフもみんな泣いていて、「この表情が撮れたんだから、この映画は大丈夫だ」と思いましたね。

池ノ辺 そういう切なさと勇気と、そうしたなかでも全体が「生きる」ということをすごく大切にしているのが伝わってきて、何度も泣かされました。私はこの作品、大好きです。