逃避する場所に映画があった
池ノ辺 監督はブラジルで生まれたそうですが、それが映画作りに影響しているところはありますか?
内田 ブラジルで生まれ育ったんですけど、全然明るくないし、ブラジルの方たちみたいに騒がないし、本当にブラジル育ちなのかな?って思うぐらい(笑)。
池ノ辺 映画監督になろうと思ったのは、いつですか?
内田 ちっちゃい頃から映画の監督になりたいなと漠然と思っていました。
池ノ辺 その頃から映画はたくさん観ていたんですか?
内田 映画はめちゃめちゃ観ていましたね。父とよく観ていました。母は映画の途中から入って、観始めたところまで来ると途中で出るというタイプなので、母と行くのが嫌だったんですよ(笑)。
池ノ辺 昔の映画館は、途中入場出来て、そのまま何回も観られましたからね。
内田 父は映画が大好きで、週末は自分が観たい映画に僕を連れて行くんです。だから、子ども向けのアニメとかに連れて行かれたことはないですね。大人が観る映画ばかりで、それが原因で僕も映画が好きになったんですけど。
池ノ辺 その後、テレビ番組でバラエティーのスタッフをやって、それから映画業界に入って行ったのは、あえて、そういうルートでやっていこうとしていたんですか?
内田 バラエティーのスタッフをやったのは、映画の現場に行けると思って応募したらたまたまバラエティーだったというだけの話で。北野武さんがすごく好きなんですけど、その現場へ行けると思って応募したら、ビートたけしさんの番組だったという(笑)。1年くらいしかやってませんけど、今思えば、映画の現場じゃなくてテレビの現場をやれてよかったなと思います。全然違うから。
池ノ辺 その後、映画の仕事についてみてどうでした?
内田 最初は作り方がわからないですし、助監督経験もないのでうまくいかなかったですね。脚本家を2年ぐらいやって、そこからインディーズ映画でいきなり監督としてやったんですけど、やっぱりベテランのスタッフと意見を合わせるのは大変でした。
池ノ辺 そうやって、『ミッドナイトスワン』みたいな大ヒット作や、『異動辞令は音楽隊!』みたいな感動作を作る監督になられたわけですが、内田監督にとって映画って何ですか?
内田 僕にとっては、逃避する場所でしたね。映画を好きな人って、子どもの頃からそういう環境にどっぷりいた人と、大学とか20歳過ぎてから映画というものに興味を持つ人に大きく分けると2種類いると思うんです。僕の場合は、子どもながらに、つらいことを忘れに映画へ行って没頭していました。
池ノ辺 なるほど。逃避する場所として映画があり、映画館があったんですね。
内田 だからディズニーランドみたいなものですよね。夢の場所として映画があったんですね。だから興味の対象ではなく、必要なものであったってことですね。
インタビュー / 池ノ辺直子
文・構成 / 吉田伊知郎
写真 / 岡本英理
原案・脚本・監督
『ミッドナイトスワン』(20)で日本アカデミー賞最優秀作品受賞。ブラジル・リオデジャネイロ生まれ。週刊プレイボーイ記者を経て99年「教習所物語」(TBS)で脚本家デビューの後、『ガチャポン!』(04)で映画監督デビュー。『グレイトフルデッド』(14)がゆうばり国際ファンタスティック映画祭、ブリュッセル・ファンタスティック映画祭(ベルギー)など多くの主要映画祭で評価された。その他『獣道』(17)、NETFLIX「全裸監督」(19)では脚本・監督も手がけた。
犯罪撲滅に人生のすべてを捧げてきた鬼刑事・成瀬司。だが、コンプライアンスが重視される今の時代に、違法すれすれの捜査や組織を乱す個人プレイ、上層部への反発や部下への高圧的なふるまいで、周囲から完全に浮いていた。遂に組織としても看過できず、上司が成瀬に命じた異動先は、まさかの警察音楽隊!すぐに刑事に戻れると信じて、練習にも気もそぞろで隊員たちとも険悪な関係に陥る成瀬。だが、担当していた強盗事件に口を出そうとして、今や自分は捜査本部にとって全く無用な存在だと思い知る。失意の成瀬に心を動かされ手を差し伸べたのは、〈はぐれ者集団〉の隊員たちだった。音楽隊の演奏に救われる人たちがいることを知り、練習に励む成瀬と隊員たち。ところが、彼らの心と音色が美しいハーモニーを奏で始めた時、本部長から音楽隊の廃止が宣告される‥‥。
原案・脚本・監督:内田英治
出演:阿部寛、清野菜名、磯村勇斗、高杉真宙、板橋駿谷、モトーラ世理奈、見上愛、岡部たかし、渋川清彦、酒向芳、六平直政、光石研 / 倍賞美津子
配給:ギャガ
©2022『異動辞令は音楽隊!』製作委員会
2022年8月26日(金) 全国公開
公式サイト gaga.ne.jp/ongakutai/