Oct 29, 2019 interview

ガイエ ゼネラルマネージャー大場渉太が語る 数奇な映画人生

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業界内では知らない人のいない、名物宣伝マンのガイエ配給宣伝事業部ゼネラルマネージャー大場渉太さんに、映画大好きな業界の人たちと語り合う 「映画は愛よ!」の池ノ辺直子が、中学生の頃から映画業界に足を踏み入れ、やがて各社で話題作の宣伝にあたったエピソードから、これから公開されるあの話題作フランス版『シティーハンター』買い付けの裏話、そして映画宣伝の真髄まで多彩なお話をうかがいました。

中学生で映像業界の凄さを知る

――映画業界に興味を持ったのはいつですか?

中学生のときなんです。ジョン・カーペンターの『遊星からの物体X』に感銘を受けて、何回も観たいから輸入版のビデオが欲しかったけど、買えば当時3万ぐらいする。映画雑誌を読んでいたら輸入版ビデオをレンタルする創映新社って会社が新宿御苑にあって、2泊3日で2500円するんだけど買うより安い。そのうちそこでアルバイトを始めたんです。

――中学生が何をするんですか?

高円寺にも輸入版レンタルのお店を出していたから、そこで店長みたいになって帳簿を書いたりするんです。店にいると、定期的に”カバン屋”って人が来るんですよ。「良いのが入りましたよ」ってアタッシュケースを開けると『ターミネーター』とかのビデオに勝手に字幕を入れた海賊版がズラーっと並んでいて、それをまたこっちでダビングして何本も店に並べて2千円ぐらいで貸す(笑)。今じゃ絶対ありえないですよね。そういう会社だったんですが、ソフトを作ろうと社長が言い出して、一番売れるのはアダルトだと。でも当時はもう御三家的なメーカーがあって、なかなか新規参入出来ない。だけどアダルトアニメはまだどこもやってないから、社長に「大場くんは、どんなアダルトアニメだったら興奮するんだい?」と訊かれて……。

――本当に中学生のときの話?

本当、本当。当時は『うる星やつら』が人気だったので、「ラムちゃんみたいな娘が出てきたら良いですね」「どんなシチュエーションがいい?」「血の繋がってない兄妹なんて良いんじゃないですかね」なんて言ってたら、本当に作っちゃって、すごく売れたんですよ。『くりいむレモン』ってアニメなんですけど。テストでしばらくバイトを休んでいたら、「事務所は原宿に移転したから」って言われたんですよ。行ってみたら、立派なビルの広い部屋に会社が移っていて、社長夫婦でやってる小さな会社だったのに30人ぐらい働いてる(笑)。中学生ながら、この業界すげえなと思ったんです。

――確かに大ヒットさせたら、ビルが建っちゃいますもんね。

高校時代は、同級生の父親が東映東京撮影所の美術部にいたので、澤井信一郎さんの『Wの悲劇』とか美術のアルバイトで行ってましたね。大学では入ったサークルのOBに鶴田法男さんっていう今ではホラーの第一人者になった監督がいて、当時作っていた『トネリコ』っていう自主映画を手伝わされたんです。朝7時から夜の9時まで1カットも撮らない日があって、「この人は黒澤明なんだろうか」と思いました(笑)。だけど出来上がった作品は自主映画の中では桁違いに面白くて。他にも、BOØWYのPV撮影の手伝いとか、ゲームの攻略ビデオのためにファミコンを1日中やって裏技を探せと言われたり。

映画業界を渡り歩いて体験したもの

――学生時代は面白いことをずっとやってきたのね。

現場のものを見せてもらう機会は早いうちからありましたね。「F2」っていうプロダクションでフリーペーパーの編集バイトをしていたんですが、大学を出た後もそこで1年ぐらい働いていたら、「将来何がしたいの?」と訊かれて「映画を作りたいです」と言ったら、「だったら、もっと裏方を勉強したら良いんじゃないか。知り合いの映画宣伝の会社があるから一回会ってみれば?」と言われてP2の照本(良)さんを紹介されたんです。声がデカイというだけで採用されました(笑)。

――P2には何年いたんですか?

9年間。いろいろな作品をやりましたが、森田芳光監督の『(ハル)』は、宣伝でやれることは全てやったという意味でも一番印象に残っていますね。1996年の映画でパソコン通信を介したボーイミーツガールの話だから早すぎたところもあるんですが、すごく斬新でしたね。森田監督には公私共によくしてもらって、映画の初日が終わった後でも監督と東宝の担当の方とP2の僕らで毎晩遊んでましたね。

――その次に日活へ移ったんですよね?

半年ぐらいフリーで映画祭を手伝ったりしていたんですが、当時日活にいた方から、「キューバの音楽ドキュメンタリーやるんだけど興味ない?」って言われてやったのが『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』。そのときに日活に入るのが条件だって言われたので入社したんです。

――日活は2年で辞めて、その後でまた戻ったでしょう?

会社の上の方の考え方が――若かったせいもありますけど――納得できなかったんですね。それまでP2や映画祭でいろんな人と繋がっていたのに、それが全然活かせない。これじゃ飼い殺しだと思って辞めたんです。その後はまたフリーになって5年間やりました。そのときにデヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』の宣伝をやれたのは、自分にとって良かったですね。ただ、フリー時代も日活の仕事は何本も貰っていたんですよ。現場の人はみんな好きだったので。当時の日活の部長が、「また戻ってこない?」「一回辞めてるし、映画祭の仕事もやってるから無理ですよ」「両方やっていいよ」ということで再入社したんです。

――面白い奴だから、入れておいた方が得だってなったんじゃないですか?

そうなら有り難い話ですけどね。日活に戻ってからだと、バカ・ザ・バッカさんで予告編を作っていただいた園子温監督の『冷たい熱帯魚』は強烈でしたね。園さんとは最初、絶対こんな人でなしとは合わねぇなと思いましたよ。ところがつきあうほどに愛おしくなってきて(笑)。

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