Feb 07, 2017 interview

第5回:『セックス・アンド・ザ・シティ』は最初、本当に売れなかったんですよ。

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池ノ辺

嘘みたいですよね、今の成功から振り返ると。

なぜ、最初はダメだったんですか

加茂

あれは当初、テレビシリーズだったでしょ。

日本ではWOWOWでオンエアしたんだけど、新聞のテレビ欄を見ると、土曜日夜中の12時半のところに「SEX」としかない。

タイトルが長すぎて、そこしか入らないんだ。

SATCだと、何のことかわからないしね(笑)。

池ノ辺

深夜のテレビ欄に謎の「セックス」(大爆笑)。

加茂

視聴者は「なんだ、これポルノか?まさかAV⁉」ってびっくりするし、そんな期待であれを見ると、「え?なにこれ」となる。

アメリカでは社会現象になっていたドラマでしたけど、日本では全然認知がなくて、マジ苦労しましたね。

4人のミドルエイジの女性たちがパワフルに恋に、仕事に、物欲に、食欲にとゴージャスに邁進する内容だから、いろいろタイアップを期待して話を持って行っても、タイトルにある「セックス」の一言でみなさん、「ちょっと、待ってください」ってフリーズされちゃう

池ノ辺

それをどうやって、あんなに爆発的に売れるラインまでもっていったんですか?

加茂

それは、当時、宣伝マーケティング部にいた栗原が詳しいんですよ、そうだあいつを呼び直そう!(電話を掛ける)

栗原弘行 (以下 栗原)

はい、およびですか?

池ノ辺

『沈黙 サイレンス』の話だけじゃなく、パラマウント時代の『セックス・アンド・ザ・シティ』をどうやって当てたかの話を聞きたいんです。

栗原

なるほど。

これは、僕がパラマントに入社する前に、DVDがCICから出ていたんです。

僕はもともと、海外ドラマが大好きで、オンタイムで視聴していて、「これは面白いな」って思っていたんですね。

まず、ニューヨークが好きで、ファッションも好き、この両方が好きな人にはたまらないなと。

でも、そんな人、日本にいっぱいいるわけじゃないじゃないですか。

そう意味で局地的にしか売れていなかったんだけど、その局地的な視聴者は感度のいい人たちで、いろいろ調べると、女性誌のライターさんやモデルさんなど感度の高い方たちは「面白い」と飛びついていることがわかった

池ノ辺

なるほどね、今なら、そういうトレンドセッター的な人がSNSで呟くとあっという間に浸透するけど、その頃はないですものね、インスタグラムとか

栗原

そう、だから、過激なタイトルの中にある良さを世に認知してもらうのに、すごく時間がかかった。

加茂

でもね、パラマウントの本社はそんな事情なんて関係ない。

アメリカでは大人気、ナイキから限定でサラ・ジェシカ モデルは発売されるわ……。

もう社会現象、ヨーロッパでも特にイギリスはキャリーの靴好きをモチーフにした靴箱デザインのDVDボックスが記録的に売れている。

でも日本は全然火がつかない、「なんで売れないんだ」ってハリウッド本社のホームエンタの社長に、えらくおっかなく怒られていましたね

栗原

あだ名が怒ると顔が真っ赤になるんで赤鬼って言われてた。

加茂

スティーブン・セガールみたいないかつい元ラグビー選手で、ものすごく大きい体で怒るのよ。

でも僕のことをスゴくかわいがってくれて毎年のインターナショナルのミーティングでいつもいじられてました。

なのでディナーの乾杯は日本語の「カンパイ!」(笑)。

池ノ辺

ハハハハ。

笑っちゃいけないけど、首をきゅっとさせている加茂さんが目に浮かびます

加茂

本当にいろいろチャレンジしました。

たとえば日本だけロゴを変えたり、禁断の宣伝をして、いろいろやってまたすごく怒られた。

池ノ辺

それでもダメだったんですか?

栗原

まるっきりダメでしたね、特に最初の2年は。

池ノ辺

いつからドーンと来たんですか?

加茂

シーズン3からだね。

池ノ辺

なぜ3から?

きっかけは何だったんですか?

栗原

口コミですよ。

池ノ辺

口コミに2年かかったってことですか?

加茂

そう、それに宣伝チームが諦めなかったんだよな。

栗原

そうですね。

売れない時代も、僕らは諦めずに、イベントを仕掛けたり、人気の女性誌にパブリシティを打ったり、大手旅行代理店と組んで『セックス・アンド・ザ・シティ』ニューヨークツアーというのもやりましたよ。

池ノ辺

なにそれ、面白そう。

加茂

昨今のアニメファンの聖地巡礼の先駆けですけど、ものすごくニッチに、ここでキャリーがマノロ・ブラニクの靴を買いました、これを食べました、4人でここで踊りましたと、細かく選定して紹介していったら、徐々に徐々に、視聴率が上がっていって、そしたら、あるとき、ドッカーンと当たっちゃった。

栗原

当時はあまりやっていなかったけど、シーズン1の初めの2話を、シネセゾン渋谷で上映したりとかね。

そうすると、テレビの視聴率は低いけど、劇場は若い女の人たちであっという間に埋まるんです。

ということは、この作品にはまだまだ、ポテンシャルはあるなという手ごたえは感じていたんです。

だけど、なかなか火がつかなかった。

加茂

そう、東京だけなんだよね。

不思議なもので、同じように感度の高そうな大阪や神戸でイベントをやっても、50の席の20しか来ない

池ノ辺

劇場に来た人たちは、1人でテレビやビデオを見るより、同じ番組を好きな人たちと一緒に楽しみたかったんですかね。

オフ会みたいな感じ

栗原

確かにそういうノリはありましたね。

池ノ辺

だから、レンタルはよかったんですか?

加茂

いや、全然(笑)。

栗原

レンタルも最初は全然、だめでしたねえ(しみじみ)。

加茂

でもね、女子の口コミ力はすごい。

良い作品は諦めず、コツコツ売り込むと、突然、認知されますからね。

給湯室での噂話には潜在的な力がある(笑)。

ほんと2年間あきらめなかったよね

栗原

目に見えた成功は、キャリー役のサラ・ジェシカ・パーカーを、最終章のシーズン6のときに日本に呼んだ時ですね。

加茂

DVDの発売のタイミングで来てもらったんだけど、あれはもうすごかったね、熱狂の嵐

栗原

あのシーズン1、2の時の無視されようが何だったんだと思うくらい、取材の申し込みが殺到して、「とにかくサラの写真を撮らせてくれ」「話を聞かせてくれ」と女性誌のオファーがさばききれないくらい。

池ノ辺

よかった、素晴らしい結果が出ましたね。

根性で2年を乗り切りましたね

加茂

宣伝パブリシティチームみんなで諦めずに、地道なことを着実にやっていって、ブレイクしたんだ。