- 池ノ辺
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嘘みたいですよね、今の成功から振り返ると。
なぜ、最初はダメだったんですか?
- 加茂
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あれは当初、テレビシリーズだったでしょ。
日本ではWOWOWでオンエアしたんだけど、新聞のテレビ欄を見ると、土曜日夜中の12時半のところに「SEX」としかない。
タイトルが長すぎて、そこしか入らないんだ。
SATCだと、何のことかわからないしね(笑)。
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- 池ノ辺
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深夜のテレビ欄に謎の「セックス」(大爆笑)。
- 加茂
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視聴者は「なんだ、これポルノか?まさかAV⁉」ってびっくりするし、そんな期待であれを見ると、「え?なにこれ」となる。
アメリカでは社会現象になっていたドラマでしたけど、日本では全然認知がなくて、マジ苦労しましたね。
4人のミドルエイジの女性たちがパワフルに恋に、仕事に、物欲に、食欲にとゴージャスに邁進する内容だから、いろいろタイアップを期待して話を持って行っても、タイトルにある「セックス」の一言でみなさん、「ちょっと、待ってください」ってフリーズされちゃう。
- 池ノ辺
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それをどうやって、あんなに爆発的に売れるラインまでもっていったんですか?
- 加茂
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それは、当時、宣伝マーケティング部にいた栗原が詳しいんですよ、そうだあいつを呼び直そう!(電話を掛ける)。
- 栗原弘行 (以下 栗原)
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はい、およびですか?
- 池ノ辺
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『沈黙 サイレンス』の話だけじゃなく、パラマウント時代の『セックス・アンド・ザ・シティ』をどうやって当てたかの話を聞きたいんです。
- 栗原
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なるほど。
これは、僕がパラマントに入社する前に、DVDがCICから出ていたんです。
僕はもともと、海外ドラマが大好きで、オンタイムで視聴していて、「これは面白いな」って思っていたんですね。
まず、ニューヨークが好きで、ファッションも好き、この両方が好きな人にはたまらないなと。
でも、そんな人、日本にいっぱいいるわけじゃないじゃないですか。
そう意味で局地的にしか売れていなかったんだけど、その局地的な視聴者は感度のいい人たちで、いろいろ調べると、女性誌のライターさんやモデルさんなど感度の高い方たちは「面白い」と飛びついていることがわかった。
- 池ノ辺
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なるほどね、今なら、そういうトレンドセッター的な人がSNSで呟くとあっという間に浸透するけど、その頃はないですものね、インスタグラムとか。
- 栗原
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そう、だから、過激なタイトルの中にある良さを世に認知してもらうのに、すごく時間がかかった。
- 加茂
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でもね、パラマウントの本社はそんな事情なんて関係ない。
アメリカでは大人気、ナイキから限定でサラ・ジェシカ モデルは発売されるわ……。
もう社会現象、ヨーロッパでも特にイギリスはキャリーの靴好きをモチーフにした靴箱デザインのDVDボックスが記録的に売れている。
でも日本は全然火がつかない、「なんで売れないんだ」ってハリウッド本社のホームエンタの社長に、えらくおっかなく怒られていましたね。
- 栗原
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あだ名が怒ると顔が真っ赤になるんで赤鬼って言われてた。
- 加茂
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スティーブン・セガールみたいないかつい元ラグビー選手で、ものすごく大きい体で怒るのよ。
でも僕のことをスゴくかわいがってくれて毎年のインターナショナルのミーティングでいつもいじられてました。
なのでディナーの乾杯は日本語の「カンパイ!」(笑)。
- 池ノ辺
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ハハハハ。
笑っちゃいけないけど、首をきゅっとさせている加茂さんが目に浮かびます。
- 加茂
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本当にいろいろチャレンジしました。
たとえば日本だけロゴを変えたり、禁断の宣伝をして、いろいろやってまたすごく怒られた。
- 池ノ辺
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それでもダメだったんですか?
- 栗原
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まるっきりダメでしたね、特に最初の2年は。
- 池ノ辺
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いつからドーンと来たんですか?
- 加茂
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シーズン3からだね。
- 池ノ辺
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なぜ3から?
きっかけは何だったんですか?
- 栗原
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口コミですよ。
- 池ノ辺
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口コミに2年かかったってことですか?
- 加茂
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そう、それに宣伝チームが諦めなかったんだよな。
- 栗原
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そうですね。
売れない時代も、僕らは諦めずに、イベントを仕掛けたり、人気の女性誌にパブリシティを打ったり、大手旅行代理店と組んで『セックス・アンド・ザ・シティ』ニューヨークツアーというのもやりましたよ。
- 池ノ辺
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なにそれ、面白そう。
- 加茂
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昨今のアニメファンの聖地巡礼の先駆けですけど、ものすごくニッチに、ここでキャリーがマノロ・ブラニクの靴を買いました、これを食べました、4人でここで踊りましたと、細かく選定して紹介していったら、徐々に徐々に、視聴率が上がっていって、そしたら、あるとき、ドッカーンと当たっちゃった。
- 栗原
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当時はあまりやっていなかったけど、シーズン1の初めの2話を、シネセゾン渋谷で上映したりとかね。
そうすると、テレビの視聴率は低いけど、劇場は若い女の人たちであっという間に埋まるんです。
ということは、この作品にはまだまだ、ポテンシャルはあるなという手ごたえは感じていたんです。
だけど、なかなか火がつかなかった。
- 加茂
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そう、東京だけなんだよね。
不思議なもので、同じように感度の高そうな大阪や神戸でイベントをやっても、50の席の20しか来ない。
- 池ノ辺
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劇場に来た人たちは、1人でテレビやビデオを見るより、同じ番組を好きな人たちと一緒に楽しみたかったんですかね。
オフ会みたいな感じ?
- 栗原
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確かにそういうノリはありましたね。
- 池ノ辺
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だから、レンタルはよかったんですか?
- 加茂
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いや、全然(笑)。
- 栗原
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レンタルも最初は全然、だめでしたねえ(しみじみ)。
- 加茂
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でもね、女子の口コミ力はすごい。
良い作品は諦めず、コツコツ売り込むと、突然、認知されますからね。
給湯室での噂話には潜在的な力がある(笑)。
ほんと2年間あきらめなかったよね。
- 栗原
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目に見えた成功は、キャリー役のサラ・ジェシカ・パーカーを、最終章のシーズン6のときに日本に呼んだ時ですね。
- 加茂
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DVDの発売のタイミングで来てもらったんだけど、あれはもうすごかったね、熱狂の嵐。
- 栗原
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あのシーズン1、2の時の無視されようが何だったんだと思うくらい、取材の申し込みが殺到して、「とにかくサラの写真を撮らせてくれ」「話を聞かせてくれ」と女性誌のオファーがさばききれないくらい。
- 池ノ辺
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よかった、素晴らしい結果が出ましたね。
根性で2年を乗り切りましたね。
- 加茂
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宣伝パブリシティチームみんなで諦めずに、地道なことを着実にやっていって、ブレイクしたんだ。