Jan 27, 2017 interview

第3回:映画は大好き。 その頃は映画とサッカーしかなかった。

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池ノ辺直子の「新・映画は愛よ!!」

Season13  vol.03 株式会社 KADOKAWA 映像事業局 邦画・洋画 ディビジョンマネージャー 兼 映像営業部 ゼネラルマネージャー 加茂克也 氏

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映画が大好きで、映画の仕事に関われてなんて幸せもんだと思っている予告編制作会社代表の池ノ辺直子が、同じく映画大好きな業界の人たちと語り合う「新・映画は愛よ!!」 第3回目は、加茂さんがサッカー一筋だった頃から、社会人になったときのお話です。いろんな職歴をお持ちだったようです。

→前回までのコラムはこちら

池ノ辺直子 (以下 池ノ辺)

さて、3回目の今日は、加茂さんのこれまでの歩みに迫りたいと思います。

加茂さんは今や、業界でも有名ですが、実は映画業界はそんなに長くないんですよね? 何年くらいですか?

加茂克也 (以下、加茂)

すみません、エラそうにしてまして。

まだ16年ですよ。

池ノ辺

なぁんだ、私の方が全然、映画業界長いじゃない。

後輩だ、後輩(笑)。

加茂

はい、パイセン。

池ノ辺

映画業界に入る前はネスカフェ、キットカットで有名なネスレジャパンにいらっしゃったんですよね。

国際的な企業で、ロレアルも今はネスレの傘下だそうですね。

加茂

ええ、ネスレに入る前もいろいろ職歴があるんですよ。

池ノ辺

1回目の時にちらっと話が出たけど、サッカーをやってらして、プロを目指していたんですか?

いつからやってらしたの?

加茂

小学校の時から。

池ノ辺

わ、これは本格的だ。

有名な友達とかいますか?

加茂

いますよ、高校のサッカー部の同級生が山本昌邦で、今NHKで解説者をしています。

2002年の日韓ワールドカップで日本代表コーチでアテネオリンピックのときの日本代表監督で、Jリーグのジュビロ磐田の監督もしていました。

別の顔としてJ3昇格したアスクラロ沼津の会長で彼の弟が社長で、弟も高校の後輩です。

池ノ辺

そ、そんなすごい人と同級生なんて、相当すごかったんですね。

加茂

まぁ、静岡ではすこしは名は売れてました。

地元の新聞にも進路先がでるくらいでしたから。

池ノ辺

夢破れたのはいつ?

加茂

僕もずっと、サッカーで飯食おうと思ってたんですよ。

サッカー選手を引退したらコーチになって、子供を育てようと。

池ノ辺

育てるというところでは、今、まさになさっていますからね。

大学でもサッカー部に?

加茂

僕は高校から日大なんですけど、たまたま高校の恩師がうちの高校に赴任する前、国士舘大学サッカー部のコーチをやっていて、その時代の教え子が読売クラブのコーチをしていたんですよ。

そのつてで読売クラブにテストを受けに行きました。

幸運にも合格してはいることができました、今の東京ヴェルディの前身です。

池ノ辺

わぁ、人気あったでしょう?

加茂

いやまったく。

Jリーグの発足前だから、人気なんてなかったですよ。

まぁ、4年間所属したけど、ずっと2軍で最後は戦力外通告。

池ノ辺

戦力外通告?

加茂

要はクビ。

オールラウンドプレーヤーって言いたいんけど(笑)、実際はへたくそだからどこでもやってたんです。

一応本職はフォワードでした。

池ノ辺

小さい時からサッカー一筋だったら、その後どうするか悩まれましたでしょ。

戦力外通告を受けたときは何歳だったんですか?

加茂

21の時ですね。

だから大学を出て、働きに行くかサッカーで他の関わり方をするか、コーチとか学校の先生とか。

親にサッカーで飯食いたいから1年留年させてくれと懇願したのですが・・・。

当時のサッカー界は今ほどプロ化もしていないし、要はマイナースポーツで、サッカーで食っていく道がなかったんですね。

父親に、「俺、コーチになりたいから残りたい」って言ったら、「いい加減にしろ」と怒られました。

池ノ辺

お父様は何をなさっていたんですか?

加茂

普通の会社員です。

池ノ辺

それまでは、息子のやりたいことをずっと見ていてくれてたわけですね。

加茂

そうですね、すごく応援してくれていました。

それまでサッカー一筋で勉強はしていないし、ろくに就職活動もしていなかったからどうしようかなと考えていたとき、読売クラブの先輩で外資系の企業に勤めている人がいて、「うちに来ないか」と。

成績は悪いから当時は不定期採用の外資系しか雇ってくれない。

でもね、夢破れて入っているから仕事に身が入らない。

池ノ辺

どんな仕事をしていたんですか?

加茂

営業ですけど、若造だから得意先もなくて顧客開拓しなくてはいけないんですね。

しかしまったく身が入らない。

今だから言えるんですけど、「行ってきま~す」と会社を出て行ったあとは、午前中得意先回って午後は映画を見に行っていた。

池ノ辺

なんと、この時代に今の基礎を作っていたんですね(笑)。

加茂

・・・沈黙(笑)

営業カバンの中に今はなくなっちゃったけど、情報誌のぴあを入れて、「さあ、今日は何を見ようか」と。

「あっ、三軒茶屋で『インディジョーンズ』上映している、これにしよう」とか。

池ノ辺

あの頃は名画座がいっぱいあって、二本立てでしたものね。

加茂

それで、映画を見まくっていた。

池ノ辺

じゃあ、もともと映画が大好きだったんですか?

加茂

映画は大好きだったんです。

映画とサッカーしかなかった。

池ノ辺

サッカー辞めたときに、映画の道に進もうとは思わなかったんですか?

加茂

じぇんじぇーん。

付属高校出身で日大には芸術学部があって、すでに推薦入学制度があるので、映画や写真好きな奴は高校に入る時にすでに映画学科、写真学科やまたは放送学科を目指して行くんですよ。

僕はそこまで考えてなかったですからね。

ただの田舎のサッカー小僧、あくまでも個人的に楽しむものだった。