細田作品、そして日本人にとっての“夏”とは?
──日常生活に即した5つのエピソードが描かれますが、くんちゃんが自転車に乗れるようになるエピソードがひときわ印象的です。くんちゃんの前に、乗り物にうまく乗るコツを教えてくれる青年(声:福山雅治)が現れる。原作小説では、青年は戦時中に海軍の水上部隊に所属していたと書かれています。水上部隊というのは、あまり映画では描かれることのなかった隊ですが…。
映画の中では「特攻隊の生き残り」としか触れていませんが、小説のほうではもう少し説明しています。終戦間際にはゼロ戦を使った「神風」、人間魚雷「回天」など、いろんな特攻部隊があり、そのひとつでした。実際に僕の知り合いにも、おじいさんが水上部隊に所属していたという人がいました。「震洋」といって小型モーターボートで、米軍の戦艦に体当たりするという部隊だったんです。『死の刺』で知られる作家・島尾敏雄は水上部隊の隊長で、満島ひかりさん主演で映画化された『海辺の生と死』(17年)は後に妻となる島尾ミホの視点から描いたものなんです。「震洋」はベニヤ板で作ったボートに爆弾を積んで突撃するという、あまりにも無謀な作戦でした。調べれば調べるほど、人間の命が粗末に扱われていたことに腹が立ちました。当時と今では価値観や常識が異なるとはいえ、戦争の恐ろしさを感じさせます。
──細田作品は『サマーウォーズ』など“夏”をモチーフにしたものが多いわけですが、『未来のミライ』も日本人にとって大切な“戦争”の記憶を刻み付けた作品だと言えそうですね。
そうですね。やっぱり日本人にとっての夏は、単なるバケーションシーズンではなく、原爆投下の日だったり終戦の日だったりするわけです。毎年、夏が近づくと戦争のことを考えますし、NHKスペシャルは今年はどんな内容だろうかと気になります。去年のNHKスペシャル『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』(俳優の山田孝之が1945年にタイムスリップするというセミドキュメンタリー)は充実した内容でしたよね。『未来のミライ』は家族をめぐる時間と土地の物語だと僕は思っています。くんちゃん一家が暮らす横浜市磯子は、戦時中は軍需工場があり、戦後は重工場が建ち、そこで働く労働者たちの住宅が広がっていった街です。くんちゃんが自転車を乗る練習をする公園は、根岸にある日本初の洋式競馬場の跡地。横浜は日本の近代の歴史が染み込んだ土地でもあるんです。そんな場所で、近代を飛び越えていく新しい家族を描きたいなと思ったんです。
あの作品がなければ、違った人生になっていた?
──細田作品は図書館や書庫などのシーンが多いのも特徴。本が並ぶ光景がお好きですね。
はい、今回も絵本が並んでいるシーンがあります。一冊一冊、それぞれの出版社に書影協力をスタッフがお願いしたものです。絵本の世界って面白いですよ。最新の絵本もあれば、僕や奥さんが子どもの頃に読んでいた古典的な絵本も読み継がれている。絵本は普通の書籍よりもロングセラー率が高いんです。世代を越えて、面白さを共有できるのも絵本のよさでしょうね。
──細田監督もお子さんに絵本の読み聞かせをしている?
映画の取材を口実に、子どもたちに絵本を読んではそのまま一緒に寝てしまうなんて贅沢な時間を過ごしました。仕事で忙しい世のお父さんには、なかなかできない体験でしょう(笑)。細田家の子どもたちのお気に入りの絵本は、ツペラ ツペラさんの『ぼうしとったら』。帽子の中にいろんなものが隠れている仕掛け絵本です。ツペラ ツペラさんは『未来のミライ』に協力してもらい、登場人物のデザインをお願いしています。
──「otoCoto」ではクリエイターのみなさんに愛読書を教えてもらっています。細田監督が読み親しんできた作家、愛読書は何でしょう?
『バケモノの子』のときは、中島敦と答えていました。『バケモノの子』は中島敦の『悟浄歎異―沙門悟浄の手記―』『悟浄出世』に影響を受けていますし、『山月記』も面白いですし。映画の場合は「一本だけに絞ることは無理」とみなさん言うけど、本だと意外とあっさり答えちゃいますよね。星新一は「座右の書は?」と尋ねられると、「辞書に決まっているだろう」と答えていたそうですよ。今ならウィキペディアになりませんか(笑)。
──悩ませる質問で、すみません(笑)。細田作品を観ていると、血は繋がっていないけれど主人公を成長へと導くメンター的な存在がとても重要であることに気づかされます。身近にいる人間ではなくても、読書体験や映画鑑賞がその人にとっての大切な“心の師”になることもありそうですね。
本や映画が人間の代わりになることはあるでしょうね。そうだなぁ、だとすると僕の場合は、やっぱり筒井康隆先生の作品かな。筒井先生の『時をかける少女』がなければ、僕はあの映画をつくることはできなかったわけですし、原作をずいぶん変えた映画だったのに、筒井先生からは「変えたところがいい」と褒めていただいた。本当に光栄なことでしたね。『時をかける少女』の公開の際に筒井先生と対談する機会に恵まれ、僕の本棚の中にある筒井先生の作品の中から熟考に熟考を重ねて、選んだのが『虚航船団』と『驚愕の曠野』でした。この二冊には筒井先生にサインしてもらい、今も僕の部屋に大切に置いてあります。もう一冊、『旅のラゴス』もとても好きな小説ですね。
──細田監督が、これまでになかった新しいタイプの作品に常に挑戦している理由が分かる気がしてきました。
筒井先生からの影響がすごく大きいと思います。筒井先生の作品は小学生の頃から読み始め、学生時代を通し、今も読み返しています。筒井先生の作品はどれも先進的で、実験的なものばかり。筒井先生の作品を読み続けてきたから、今の僕がいるんじゃないかと思いますね(笑)。
取材・文 / 長野辰次
撮影 / 三橋優美子
細田守(ほそだ・まもる)
1967年、富山県出身。金沢美術工芸大学卒業後、1991年に東映動画(現・東映アニメーション)に入社。『劇場版デジモンアドベンチャー』(99年)で映画監督デビューを果たし、監督第2作『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』(00年)が話題に。2005年にフリーとなり、『時をかける少女』(06年)がロングランヒット。『サマーウォーズ』(09年)で初のオリジナル作品に挑んだ。11年にアニメーション制作会社「スタジオ地図」を設立。『おおかみこどもの雨と雪』(12年)、『バケモノの子』(15年)と大ヒットを放っている。『未来のミライ』は第71回カンヌ国際映画祭・監督週間にアニメーション映画として唯一選出され、上映された。
映画『未来のミライ』
都会の片隅の、小さな庭に小さな木の生えた小さな家。ある日、4歳の甘えん坊のくんちゃんのもとに生まれたばかりの妹がやってくる。両親の愛情を奪われ、初めての経験の連続に戸惑うくんちゃん。そんな時、くんちゃんは自分のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ不思議な少女・ミライちゃんと出会う。ミライちゃんに導かれ、時をこえた家族の物語へと旅立つくんちゃん。見たこともない世界、むかし王子だったと名乗る謎の男、幼い頃の母との不思議な体験、父の面影を宿す青年との出会い、初めて知る「家族の愛」の形。様々な冒険を経て、ささやかな成長を遂げていくくんちゃん。果たして、くんちゃんが最後にたどり着く場所とは?そしてミライちゃんがやってきた本当の理由とは――。
映画『未来のミライ』
監督・脚本・原作:細田守
作画監督:青山浩行 秦綾子
美術監督:大森崇 髙松洋平
音楽:高木正勝
声の出演:上白石萌歌 黒木華 星野源 麻生久美子 吉原光夫 宮崎美子 役所広司/福山雅治
オープニングテーマ・エンディングテーマ:山下達郎
配給:東宝
企画・制作:スタジオ地図
2018年7月20日(金)公開
©2018 スタジオ地図
公式サイト:http://mirai-no-mirai.jp/
細田守「未来のミライ」/角川文庫
ストーリーは映画と同じだが、細田監督自身が執筆しており、映画を観ただけでは分からない細かい設定が楽しめる。くんちゃんの家は傾斜地に建っており、上から洗面所、寝室、リビング、中庭、子ども部屋とそれぞれ100センチの段差で仕切られた構造であることが分かる。また、おとうさんの面影を宿す青年は、映画では戦争シーンはわずかだが、小説では海軍の特攻部隊のひとつだった「水上部隊」に所属していたことが説明してある。大戦中、「水上部隊」の搭乗員2500人以上の命が失われた。細田監督の頭の中を駆け巡ったイマジネーションがどのように映像化されたのか、小説と映画を読み比べたい。
「驚愕の曠野」筒井康隆/河出書房新社
筒井康隆ならではのメタフィクション構造の小説。おねえさんが子どもたちに、終末世界を舞台にした伝奇小説を読み聞かせているところから始まり、小説に登場する様々な登場人物たちは怪物に襲われて次々と命を落とすことに。一度死んだ登場人物たちは何層にも連なる地獄(魔界)の罪人、さらには怪物として堕ちていき、やがて小説を読んでいたおねえさんや子どもたちも小説の中の登場人物へと転生する。本作を読んでいる自分すら永遠に続く小説の中に巻き込まれていく不気味さを覚える、まさに驚愕の書だ。