Apr 09, 2019 interview

ガス・ヴァン・サント監督インタビュー:名優たちとの思い出、新作に込めた想いと“人生を変えた”映画

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デビュー作『マラノーチェ』と本作の“繋がり”

──ジョンは何故、風刺漫画家になったのでしょうか?

彼は赤毛であることや養子であることなどが原因で、自分が“社会のハズレもの”になっていると感じていて、そのことに昔から苛立っていたようなんです。事故に遭った後は辛辣なユーモアの才能を発揮して車椅子のカートゥーニストと自分を皮肉り、ギリギリのところで笑いをとるような漫画を描き始めます。でも、事故の後は酒を絶ち、漫画を描きながら立ち直っていったんですよね。僕がジョンと会ってみて受けた印象は、優しくてシャイでジョークの達人。いつもユーモアを忘れない人でした。

──ジョンをリサーチしていく中で何か面白い発見はありましたか?

僕の監督デビュー作『マラノーチェ』(86年)はポートランド出身の詩人ウォルト・カーティスによる自伝小説を映像化した作品ですが、当時のポートランドの貧困層が住むゴールドタウンという街を舞台に撮りました。ウォルトはその街の小さなグロッサリーストアで働いていたのですが、実はジョン・キャラハンがその店によくワインを買いに来ていたそうなんです。その時に「作家になりたい」と言っていたそうで、ジョンはお酒を断った後、ローカルなアーティストたちが集まるコミュニティにも顔を出すようになったという話も聞きました。デビューから何年も経った今、自分が撮った『マラノーチェ』と『ドント・ウォーリー』が繋がったのはとても面白いことだと感じています。

リヴァー&ホアキン・フェニックス、“クレイジーな”兄弟との思い出

──繋がりと言えば、『マイ・プライベート・アイダホ』(91年)でリヴァー・フェニックスが主演を務め、本作ではリヴァーの弟であるホアキン・フェニックスが主演を務めています。ぜひフェニックス兄弟についてもお話を伺いたいのですが。

リヴァーが20歳の時だったかな、フロリダにあった彼らの家に行ったことがあって、その時に「弟は僕よりクレイジーなんだよ」とリヴァーが言ったんです。でも僕からしたら、二人ともクレイジーなところがあるから似てるじゃないかと(笑)。ただ、ホアキンはリヴァーの演技を見て学ぶところは多かったと思います。それから、彼らの父親はまるでアマチュアの役者のように家で演技をして家族に見せていたそうで、「タレントの才能を受け継いでいるのかもしれない」とホアキンが話してくれたことがありました。

リヴァーもホアキンも作品に入ると自分が演じる役柄に入り込んでしまうのですが、『マイ・プライベート・アイダホ』の時には、着るものや振る舞いなど全て役になりきった状態でリヴァーは現場に来ていましたし、ホアキンも『誘う女』(95年)の時には撮影前に自ら役のことを考えて髪を切ってきて、それをとても自慢げに見せてきたという思い出があります(笑)。『ドント・ウォーリー』でジョンを演じるにあたっても、役になりきってしまう姿は昔と変わっていませんでした。